転職したいかわからないままでも相談していいのか迷った夜の選択肢としての第二新卒エージェントneo

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    相談する前に、少しだけ姿勢を正してしまう夜のこと

    元気な女性

    帰り道の風が、昼より少しだけ冷たくなっていた。春が近いのか、まだ冬が粘っているのか、よくわからない中途半端な空気で、駅前のコンビニの自動ドアだけがやけにきびきび開いた。

    私はいつものように、炭酸水と、小さいおにぎりと、なんとなく罪悪感の薄そうなサラダチキンを買って、レジ横のあたたかい照明の下で財布を閉じた。

    店員さんの「袋ご利用ですか」に一瞬だけ反応が遅れて、自分でも少し驚いた。今日は仕事で特別な失敗をしたわけじゃない。ただ、昼過ぎに上司から言われた「で、今後どうしたいの?」という何気ない一言が、ずっと喉の奥に薄く貼りついていた。

    今後どうしたいのか。

    そう聞かれるたび、私は少しだけちゃんとした人の顔をしようとしてしまう。キャリアとか成長とか、そういう単語を雑に扱わない人の顔。

    だけど本当は、そんなに立派なことは考えていなくて、ただ毎朝会社に向かう途中で胃がきゅっとならない働き方がしたいとか、日曜の夜にスマホの通知を見るだけで体が重くならない仕事がしたいとか、そういう低くて切実な願いのほうが、ずっと本音に近い。

    部屋に帰って、コートを脱いで、椅子の背もたれにかけるつもりが少しずれて床に半分落ちたままになった。

    キッチンの隅には昨日洗えなかったマグカップ、冷蔵庫の中には賞味期限ぎりぎりの豆腐、スマホには通販の発送通知と、どうでもいいニュースの見出しが並んでいた。そんな、ちょっと散らかった夜だった。

    その中で、私はなんとなく「第二新卒エージェントneo」のページを開いた。第二新卒や既卒、フリーターを含む20代向けの就職・転職支援サービスで、無料登録後に専属のキャリアアドバイザーがマンツーマンで相談に乗り、履歴書作成や面接対策、求人紹介まで支えてくれるらしい。

    Web面談にも対応していて、最短10日ほどで内定に進む人もいるという。こういう情報だけ見れば、かなり親切なサービスなんだと思う。

    実際、未経験OKや学歴不問の求人も多く、仕事の選び直しをしたい人にはちゃんと現実的な入口として用意されている感じがした。

    でも、そのページを開いた瞬間に私の中に出てきたのは、「助かるかも」より先に、「ちゃんとした相談者っぽく振る舞わなきゃ」という、少し窮屈な気持ちだった。

    これ、たぶんわかる人にはわかると思う。しんどいから相談したいはずなのに、相談する前にまず“相談するに値する自分”を整えようとしてしまうあの感じ。

    別に誰もそんなこと求めていないのに、履歴書の空白期間だけじゃなく、自分の迷い方まで採点される気がして、背筋だけが変に伸びる。

    ひとつの広告より、開いたあとの沈黙のほうが長かった

    今日の小さな出来事と言えば、本当にそれだけだったのかもしれない。サイトを開いて、閉じて、また開いた。それだけ。誰かに連絡したわけでもないし、応募ボタンを押したわけでもない。たったそれだけのことなのに、その往復が妙に疲れた。

    画面には「たったの1分で登録完了」と書いてあったし、希望や将来像に合った求人提案、未経験OK求人の多さ、専任アドバイザーによるサポート体制も整理されていて、理屈ではかなりわかりやすい。

    東京・大阪・福岡に相談拠点があり、求人自体は全国の勤務地から探せるようになっていた。こういう情報を見ると、選択肢は思っていたより狭くないのかもしれないとも思う。

    それでも、私はすぐに登録しなかった。

    自分でも少し意地が悪いなと思うけれど、ああいう“支援してくれる場所”に向かうとき、私はいつも少しだけ試すような目で見てしまう。

    この人たちは、私の「ちゃんと話せない」を、どこまで待ってくれるんだろう、とか。前職のことをきれいに言えないままでも、嫌な顔をしないだろうか、とか。結局、転職サービスを探しているようで、その実、自分の曖昧さがどこまで許されるかを確かめたいだけなのかもしれない。

    サイトのFAQを読んでいたら、最初はマンツーマンのカウンセリングで悩みや希望を聞いてもらえて、面談では雑談を交えながら、これまでの経験やこれからどうなりたいかを話していく流れらしかった。

    「この場で話した内容が選考に影響することはない」と書いてあって、その一文に私は少しだけ救われた。こういう言葉は、本当に必要な人ほど、案外まっすぐ受け取れないのだけれど。

    救われるかもしれない文章を前にして、すぐ安心できないのも、まあ私らしい。

    部屋の電気は白すぎて、夜には少し正直すぎる。流し台の金属の光り方まで冷たく見えて、私は立ったまま炭酸水をひと口飲んだ。泡が喉に刺さって、「今すぐ辞めたいわけじゃないくせに」と、自分の中の嫌な声が出てきた。

    そう、そこがややこしい。

    今の仕事が今この瞬間に耐えられないわけじゃない。泣くほどつらい日ばかりでもない。たまに笑うし、給料日は普通にうれしいし、帰りに寄るスーパーの半額シールにもちゃんと反応する。

    でも、何年後かの自分を想像したときに、その景色の中に今の延長線があることが、少しだけ息苦しい。その程度の違和感って、外から見ると贅沢とか甘えとか、そういう言葉に変換されやすい。

    だから言いにくい。だから溜まる。

    本当は、転職したいより「これ以上雑に働きたくない」と思っていた

    笑顔の女性

    誰にも言わなかった本音を書くなら、たぶんこれだと思う。

    私は新しい会社に行きたいというより、もうこれ以上、自分を雑に使う毎日を続けたくないだけだった。

    この言い方は少し棘があるし、いま働いている場所や人を全部否定するみたいで、口に出すには抵抗がある。でも、そうじゃない。

    誰かが悪いというより、私が自分の摩耗に慣れすぎた。合わない会話に愛想笑いをして、興味のない未来予想図にうなずいて、得意でもない調整役を「まあできなくはないです」で引き受けるうちに、何が苦手で何が嫌なのかを、自分でも雑にしか扱えなくなっていた。

    転職って、もっと大きな決意が必要なものだと思っていた。立派な目標とか、明確な不満とか、語れる理由とか。

    だけど本当は、「このままだと、自分の輪郭がぼやける気がする」くらいの、かなり曖昧で私的な感覚から始まることもあるんだと思う。

    たぶん、しんどさには二種類ある。誰が見ても明らかなしんどさと、ちゃんと生活できてしまうからこそ見過ごされるしんどさ。後者のほうが厄介で、周りからも、自分からも、発見が遅れる。熱はないけど、ずっと平熱が高いみたいな疲れ方。そういうの、ある。

    「まだ限界じゃないし」と自分に言い聞かせるのって、真面目というより、少し怠慢なのかもしれない。倒れるほどではない不調を、ずっと自分の中で後回しにしているだけだから。

    第二新卒エージェントneoみたいなサービスが20代向けに用意されていて、未経験の業界や職種に挑戦したい人にも門戸があること、履歴書や面接対策を個別に見てもらえることは、そういう“うまく言えないけれど今のままは嫌”という人にとって、思っているより意味があるのかもしれない。

    自分ひとりだと、曖昧な違和感をすぐに甘え扱いしてしまうから。第三者と話すことで、はじめて「あ、それは悩みとして置いていいんだ」と輪郭が出ることもある。

    もちろん、どんなサービスにも相性はあるし、相談したからといって急に人生が整理されるわけじゃない。でも、“整理されてから相談する”んじゃなくて、“整理できていないから相談する”という順番も、もう少し当たり前でいい気がした。

    そこを私は、ずっと逆だと思っていた。

    明日の私は、「やりたいこと」より先に「削りたくないもの」を書いてみる

    今日ひとつだけ残った気づきは、進路を考えるとき、私はいつも「何になりたいか」から考えようとして苦しくなっていた、ということだった。

    何になりたいかなんて、30歳でもわからない日がある。たぶん31歳でも32歳でも、わかったふりだけ上手くなる日がある。だけど、「これ以上削りたくないものは何か」なら、もう少し答えやすい。

    たとえば、朝の静かな時間を、出勤前の不安で全部失いたくない。休みの日の夕方に、翌日のことだけで胸を曇らせたくない。帰宅して玄関で靴を脱いだ瞬間まで仕事の顔を引きずりたくない。そういう、小さくて具体的な“削りたくないもの”のほうが、私の本音に近かった。

    明日もし少しだけ時間があったら、ノートでもスマホのメモでもいいから、「やりたいこと」じゃなくて「これ以上すり減らしたくないもの」を3つだけ書いてみようと思う。キャリアの答えじゃなくて、自分の生活の防衛線みたいなもの。大げさな自己分析じゃなくても、それだけで見えるものがある気がする。

    あの手のサービスを前にすると、つい“うまく相談できる人”になろうとしてしまうけれど、本当は逆で、うまく言えないことをそのまま持っていくための場所なのかもしれない。

    少なくとも公式の案内を見る限り、最初の面談は持ち物が必須というわけでもなく、履歴書がなくても相談は進められて、雑談を交えながら話せる流れになっているらしい。そういう余白が最初から書かれているのは、思ったより救いだった。

    誰かに頼ることって、弱さを見せることだと思われがちだけど、実際は少し違う。頼る前に、自分のしんどさを“頼るほどではない”と切り捨てる作業のほうが、ずっと静かで、ずっと自分を削る。

    まとめ

    今夜の私は、登録まではしなかった。たぶん、それでいいんだと思う。すぐ動かなかった自分を、昔なら責めていたけれど、今日はそこまで乱暴に扱わなかった。

    サイトを開いて、閉じて、また開いた。それだけでも、私の中ではちゃんと出来事だった。誰にも言わなかった不満が、ただのわがままじゃなく、生活の輪郭を守るための感覚かもしれないと気づけたから。

    仕事を変えるかどうかより先に、自分が何にじわじわ傷ついているのかを、雑にしないこと。たぶん今の私に必要なのは、きれいな志望動機よりそっちなんだと思う。

    大人になると、我慢はだいたい“ちゃんとして見える”。だから厄介だ。

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