そのサプリ、安心のつもりが空回りかも?飲んでも変わらない日に読みたい小さな違和感

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    効く気がした夜に、たぶん私は安心を買っていた

    びはだ女性

    「ちゃんとしてる人ほど、サプリの棚の前で立ち止まる気がする。」

    疲れているのに、まだ自分を立て直せる気がしてしまう夜がある。
    ごはんをちゃんと作る元気はないのに、何かひとつ正しいことをしたくて、ドラッグストアの明るすぎる照明の下をうろうろする。


    ああいうときって、本当に欲しいのは栄養じゃなくて、“これで大丈夫かもしれない”という小さな言い訳だったりする。

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    目次

    期待を飲み込む夜の、静かな勘違い

    レジ袋の中で鳴らないはずの期待が、少しだけ鳴っていた

    今日は帰りの電車がいつもより少しだけ混んでいて、春なのに空気が乾いていた。
    車内でふと窓に映った自分の顔が、なんだか“ちゃんと疲れている人の顔”をしていて、少し笑ってしまった。笑うほどでもないし、落ち込むほどでもない、でもたしかに元気ではない。そういう顔。

    大分の夜は、都心みたいにずっと騒がしくないぶん、仕事帰りの気分がそのまま街に落ちている気がする。駅前の明かりも、コンビニの自動ドアの音も、どこか生活に近すぎる。
    帰り道、牛乳と卵だけ買うつもりで入ったドラッグストアで、気づいたらサプリメントの棚の前にいた。

    鉄分、ビタミン、乳酸菌、マルチミネラル、睡眠、ストレス、巡り、キレイ、リズム。
    棚には、今の私が欲しがりそうな言葉が、まるでこちらの生活を覗いてきたみたいに並んでいた。
    “なんとなく不調”にぴったり寄り添う顔をしているのが、少しだけ上手すぎると思った。

    その中のひとつを手に取った。
    パッケージは淡い色で、余計なことを言わない雰囲気。派手じゃないのに、ちゃんとして見える。こういうのに弱い。効きそうというより、信じても恥ずかしくなさそう、という感じがするから。

    後ろを見たら、小さな文字がたくさん並んでいた。
    読もうと思えば読める。でも、あの場で人はそんなにちゃんと読まない。
    読む前から、少しだけ期待しているから。
    「これを飲めば明日ちょっと軽いかもしれない」
    そう思いたい気持ちが、成分表より先に目に入ってしまう。

    結局、私はそのサプリを買った。
    牛乳と卵と、小さな期待。
    レジ袋の中でいちばん軽いのに、たぶんそのサプリがいちばん大きな顔をしていた。

    家に帰って、白い靴下を脱ぎ散らかしたまま、冷蔵庫の前で麦茶を飲んだ。
    部屋は静かで、換気扇の音だけがしていた。
    こういう時間、私はたまに“自分をちゃんと扱えていない感じ”に襲われる。誰かに怒られたわけじゃないのに、生活の通知表をひとりでつけて、勝手に少し落ち込む。

    それで、ごはんの代わりみたいにサプリを飲みたくなる。
    食事は整っていない。睡眠も浅い。スマホを見る時間も減らせない。なのに、小さな粒ひとつにだけはきれいな期待を向ける。
    今思うと、あれは健康を買っていたというより、“ちゃんとしてる私”の気配を買っていたんだと思う。

    海外の公的機関も、サプリは病気の診断・治療・予防を目的とするものではなく、食事や処方薬の代わりにすべきではない、とかなりはっきり案内している。FDAはサプリを医薬品のように事前承認しているわけではなく、NCCIHも相互作用や副作用の可能性に注意を促している。

    もちろん、必要な栄養を補うために役立つ場合まで否定したいわけじゃない。実際、NIHの情報でも、状況によっては医療者がサプリを勧めることがあるとされている。
    でも、「飲めばなんとかなる」「飲んでるから大丈夫」と思い始めた瞬間、私たちは成分より先に“安心”を飲んでいるのかもしれない。

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    たぶん私が飲みたかったのは、栄養じゃなくて免罪符だった

    これ、誰にも言っていない本音なんだけど。
    私はサプリを買うとき、ほんの少しだけ自分に酔っている。

    “私、ちゃんと自分を気にかけています”
    “乱れてるけど、放置してるわけじゃありません”
    “忙しいなりに、最低限のことはやってます”

    そういう顔を、自分に見せたくて買っているときがある。

    ひどい言い方をすると、サプリって私にとって、ときどき免罪符になる。
    コンビニのパスタで夕飯を済ませた夜も、湯船に入らずシャワーだけで終わった日も、寝る前にスマホをだらだら見て目がしょぼしょぼしている深夜も、最後にサプリを飲むと、なんとなく“全部は崩れていない”ことにできる。

    わかる人、たぶん少なくないと思う。
    人は元気になりたいんじゃなくて、「このままじゃまずい」を一回だけ静かに見なかったことにしたい夜がある。

    その一回が積み重なるのが、ちょっと怖い。
    でも、その一回にどれだけ助けられてきたかも、私は知っている。

    仕事でへこんだ日って、具体的な傷じゃないから余計に厄介だ。
    ミスしたとか、怒られたとか、そういうはっきりした出来事なら、まだ反省や対策の形がある。
    でも、何かが少しずつ削れたみたいな疲れは、対処しにくい。
    会議で自分の発言がうまく伝わらなかったとか、雑談でうまく笑えなかったとか、返信の文面がひとつだけ冷たく見えたとか。そんな小さなことが、夜になると妙に残る。

    それで「整えよう」とする。
    でも、本当に整えたいのは栄養バランスじゃなくて、もっと言葉にしづらいところだ。
    自信のなさとか、置いていかれる感じとか、誰にも迷惑かけてないはずなのにひとりで勝手にくたびれている感じとか。
    そこは、サプリのラベルには書いていない。

    「ストレスに」
    「毎日の美容に」
    「忙しい女性に」
    そういう文言を見るたびに、うまいなと思う。
    間違ったことを言っているわけではない。でも、こっちが勝手に補ってしまう。
    “じゃあ今の私に必要なんだ”って。

    SNSを見ていると、みんなそれぞれの整え方を持っているように見える。
    白湯を飲む人、朝ランする人、腸活する人、プロテインをきれいにシェイクしている人。
    そこにサプリも自然に並んでいて、なんだか“ちゃんとしてる大人の必需品”みたいに見えてくる。

    でも正直、私はあの景色を見るたびに、少しだけ焦る。
    焦るくせに、ちゃんと生活を変えるほどの気力はない。
    だから、いちばん手軽なものに手を伸ばす。
    噛まなくていい、切らなくていい、洗い物も出ない、小さな粒。

    ほんとうは、ちゃんと食べて、ちゃんと寝て、ちゃんと休めたらいい。
    そんなこと、わかっている。
    わかっていてできない日があるから、人は“飲めば済むもの”に甘えたくなる。
    たぶん、そこに善悪はない。
    ただ、そこにつけ込むみたいな売り方には、少しだけ冷静でいたいと思う。

    「効くかどうか」より先に、「これを信じたいほど今の私は疲れてるんだな」と気づく夜がある。

    これが今日、いちばん誰にも言っていない本音かもしれない。
    サプリを疑っているようで、ほんとうは自分の弱っているタイミングを見てしまって、少し居心地が悪かったのだと思う。

    “飲むこと”じゃなくて、“任せること”に、たぶん少し気をつけたい

    食後にそのサプリを一粒飲んでから、私はなんとなくスマホで成分名を調べた。
    寝転んだまま、天井の照明を少し暗くして。
    画面の光だけが顔に当たるあの時間って、知りたいことを調べているようで、たまに自分の不安の輪郭を確認しているだけのときがある。

    そこで見たのは、拍子抜けするくらい当たり前のことだった。
    サプリは万能じゃない。
    成分によっては根拠に差がある。
    薬との飲み合わせに注意が必要なものもある。
    そして、パッケージの雰囲気が誠実そうでも、期待したほどの働きをしてくれるとは限らない。

    本当に、びっくりするほど普通の話だ。
    でも、普通の話ほど、疲れているときの私は簡単に忘れる。

    たぶん「ダマされるな!」っていう言い方をすると、悪い誰かと、かわいそうな誰か、みたいに分けたくなる。
    でも実際はもっと地味で、もっと生活に近い。
    あからさまな詐欺に引っかかるというより、
    “今の自分が欲しい言葉を、商品に都合よく読ませてしまう”
    その静かな勘違いのほうが、ずっと起きやすい。

    それはたとえば、
    「これなら続けられそう」じゃなくて、
    「これさえあれば少し取り返せそう」になっているとき。

    「補う」じゃなくて、
    「帳消しにする」になっているとき。

    「自分を助ける道具」じゃなくて、
    「自分の生活を見なくて済む理由」になっているとき。

    そのズレに気づけるかどうかで、同じサプリでも意味が変わる気がした。

    私は別に、これから一切サプリを買いません、みたいなきれいな話をしたいわけじゃない。
    たぶんまた買う日もある。
    生理前でだるい日もあるし、忙しくて食事が偏る週もあるし、季節の変わり目に妙に不安定になるときもある。
    そういう現実の中で、助けになることもあると思う。

    ただ、今日ひとつだけ新しく見えたことがある。
    それは、サプリにダマされる前に、私はしばしば“手軽に立て直したい自分の焦り”に急かされている、ということだ。

    本当に必要なのは、効くっぽいものを増やすことじゃなくて、
    自分がどんな日に、どんな言葉に飛びつきやすいかを知っておくことなのかもしれない。

    疲れている日ほど、
    やさしい色のパッケージ、
    “女性にうれしい”という曖昧な文句、
    “飲むだけ”という甘い手軽さ、
    そういうものが、救いの顔をして近づいてくる。

    でも、救いに見えるものが、いつも自分を助けるわけじゃない。
    ときどきそれは、見たくない生活のほうから目をそらさせる。

    たとえば今夜なら、サプリを飲む前に、ちゃんと湯を沸かして味噌汁でも作れたかもしれない。
    スマホを閉じて、十五分だけでも早く寝られたかもしれない。
    そこまでできなくても、せめて「今日は無理だった」と認めるだけでもよかったのかもしれない。
    でも私は、そのどれでもなく、一粒の小さな丸さに期待を預けた。

    そのこと自体を責めたいわけじゃない。
    ただ、あまりにも自然にやってしまうから、少しだけ立ち止まりたくなった。

    大人になると、自分の不調に名前がつかない日が増える。
    病気じゃない、でも元気でもない。
    だから、つい“ちょうどいい何か”を探してしまう。
    サプリはその“ちょうどよさ”の顔をしている。
    強すぎず、面倒でもなく、今の自分を否定しないまま、少しだけ助けてくれそうに見える。

    でも、だからこそ思う。
    飲んでも効かないサプリにダマされるな、というより、
    「飲めば大丈夫と思いたくなるほど疲れている自分」を、先に見失わないほうがいい。

    そのほうがたぶん、ずっと切実だ。

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    今、テーブルの端にそのサプリの袋が置いてある。
    麦茶のコップの横で、いかにも静かに役に立ちそうな顔をしている。
    私はたぶん、明日も飲むかもしれないし、飲まないかもしれない。
    でも少なくとも今日は、あの小さな粒に人生を任せるみたいな気持ちではいない。

    それだけでも、ちょっと違う気がしている。

    大人って、何でも自分で選べるようになることじゃなくて、
    “手軽な救いに飛びつきたくなる夜の自分”を、少しずつ見抜けるようになることなのかもしれない。

    そう思ったら、なんだか前向きというより、少しだけ静かになった。

    明日もたぶん忙しい。
    朝は眠いし、電車は混むし、昼休みは短いし、帰る頃にはまた別の疲れ方をしていると思う。
    それでも、次に何かを“飲めば変わる”と信じたくなったとき、
    私はその前に一回だけ、自分に聞いてみたい。

    それ、本当に足りない栄養のため?
    それとも、今日のしんどさに名前をつけたくないだけ?

    答えはたぶん、いつもきれいじゃない。
    でも、その汚れた答えのほうに、今の自分の生活はちゃんとある。
    そしてたぶん、ほんとうに裏切られたくないのはサプリじゃなくて、自分の暮らしの感覚のほうなんだと思う。

    今夜の私は、少しだけそのことを忘れずに眠れそうです。
    あなたは、しんどい日に何を“効くもの”として信じたくなりますか。

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