面ファスナーが留まらないドライヤーを捨てられない人へ、生活のほころびに気づいた夜の話
ドライヤーのコードを束ねる黒い面ファスナーだけ、なぜか先にくたびれる

春が深くなる四月の後半、窓を少しだけ開けると、昼間のぬくさと夜のひんやりが同時に入ってきます。二十代のころは、こういう季節の変わり目って、服のこととか恋のこととか、もっと華やかなことで胸がざわついていた気がするのに、三十代になった私は、洗面所の小さな違和感にばかり目がいくようになりました。
たとえば、ドライヤーのコードを束ねるためについている、あの黒い面ファスナーです。
本体はまだ元気なのに、あの部分だけが妙に早くへたって、留めてもするっと外れる。髪を乾かし終えたあと、適当にくるくる巻いて、最後にその面ファスナーをぺたりと閉じるはずが、今日は閉じない。昨日も閉じなかった。何回か押しつけてみても、まるで「もう私、そういう役目は卒業しましたけど?」みたいな顔をして、ぱかっと開いてしまう。
正直、誰もそんなところに物語なんて求めていないと思います。レビュー記事にもなりにくいし、美容のコツにも節約の裏技にもつながりにくい。けれど私は、こういう“生活の端っこにいる小さな敗北”を見つけた瞬間、なぜかものすごく書きたくなります。たぶん、毎日はだいたい、こういう名もないほころびでできているからです。
今日みたいな四月二十日ごろは、二十四節気でいうと穀雨のころ。春の雨が百穀をうるおす、なんて言われる時期で、新しい葉っぱの色がまだ若くて、でも空気には少しずつ初夏の気配が混じり始めます。きらきらした季節の話をする人は多いけれど、私はこの時期になると、洗面所の隅でよれた面ファスナーを見るたび、「ああ、季節って、人だけじゃなく物にも容赦なく進むんだな」と思ってしまうのです。
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きれいにしているつもりの人ほど、こういう小さな劣化に弱い
私は美容や身だしなみに関わる仕事をしてきたこともあって、昔から“清潔感がある人”でいたい気持ちが人より少し強いです。服に毛玉がないか、爪の先が荒れていないか、髪に寝ぐせが残っていないか。そういうことを一つずつ確認して、外の私はそれなりに整って見えるようにしてきました。
だからこそ、ドライヤーの面ファスナーがだめになっているのに、そのまま使い続けている事実が、妙に刺さるのです。
本当にどうでもいいことです。使えなくなったなら新しいドライヤーを買うほどでもなく、市販の結束バンドでも買えば済む話です。でも、その“代わりを用意していない感じ”に、今の自分の本音が出ている気がして、少しだけぎくっとする。忙しいとか、疲れているとか、最近ちょっと余裕がないとか、そういう言い訳をぜんぶ超えて、生活ってこういうところに出るんですよね。
しかも、こういう劣化って人に見せる場面があまりありません。来客があっても洗面台の上しか見ないし、ドライヤーのコードの留め具まで観察する人はまずいない。つまりこれは、完全に“自分だけが知っているだらしなさ”です。
人から見えない乱れって、思ったより心にたまります。誰にも怒られないのに、自分の中でだけ、じわっと点数が引かれていく。そんな気分の夜に、ゆるんだコードをまた手で巻きながら、「ちゃんとしてるように見せるの、そろそろ限界かも」と、少し笑ってしまうことがあります。
■>>ホリスティックキュア ドライヤー モイストプラス (CCID-P02W)春の洗面所には、前向きになれない日もちゃんと置いてある
春って、世の中的には新生活とか、再スタートとか、出会いとか、前向きな単語が並びやすい季節です。SNSを開いても、桜、入学、異動、新しいメイク、新しい私。そんな言葉が気持ちよく流れていく。でも実際のところ、春の毎日ってそんなにきれいじゃないな、と私は思います。
気温差で地味に疲れるし、花粉で肌も機嫌が悪いし、朝は眠いし、夜は妙にさみしい。新しいことを始めたい気持ちはあるのに、帰宅してメイクを落として、お風呂に入るだけで一日分のやる気を使い切ってしまう日もある。そんな夜、洗面所でドライヤーを持ち上げたときに、あの黒い面ファスナーがまた役に立たないと、なんだか自分の“もう無理です”を代弁されているみたいで、ちょっとだけ腹が立つのです。
ただ、私は最近、この腹立ちを嫌わないようにしています。イライラって、元気がある証拠でもあるからです。本当に何も感じなくなったときのほうが、たぶんずっと危ない。面ファスナーが留まらないことにむっとするのは、まだ私が自分の暮らしをあきらめきっていないから。そう思うと、少しだけ救われます。
窓の外で雨の音がすると、穀雨という言葉を思い出します。春の雨が田畑を潤して、これから育つものを静かに助ける季節。だったら、うまく留まらない夜があってもいいのかもしれません。今はきれいにまとまらなくても、じわじわと何かが育っている途中なのかもしれないから。
そう考えると、洗面所というのは案外やさしい場所です。鏡の前で、うまく笑えない日も、少し老けた気がする日も、理由もなく自信がない日も、とりあえず自分の顔を見てしまう。逃げ場がない場所だからこそ、本当の気分が置き去りにならずに済むのかもしれません。
■>>サロンシェアNo,1ドライヤーメーカーが作った本気のドライヤーあの面ファスナーを捨てられなかった理由は、故障じゃなく記憶だった
先に言うと、私はこの前、ついに新しいドライヤーを買いました。風量も強くて、軽くて、音も前より静か。箱を開けたときは、なんだか新しい季節に乗れた気がして、少しだけ気分が上がりました。古いほうは自治体のルールを確認して、処分するつもりで洗面所の隅に置いておいたんです。
それなのに、捨てられませんでした。
コードをまとめようとして、例のくたびれた面ファスナーに指が触れた瞬間、急に思い出してしまったからです。そのドライヤー、母がうちに泊まりに来たとき、「風、まだ弱くないし、十分使えるよ」と言ってくれたものでした。私が一人暮らしを始めたばかりのころに買った安い家電を、母はいつも必要以上にほめてくれていました。カーテンの色も、古い食器棚も、狭いキッチンも。「ちゃんと暮らしてるね」と言ってくれた。あのときの私は、ちゃんと暮らしているふりをするので精一杯だったのに。
私はずっと、面ファスナーがへたったからこのドライヤーに未練があるんだと思っていました。生活のほころびを象徴している気がして、だから気になっているのだと。でも違いました。私が留められなかったのはコードじゃなくて、あのころの気持ちでした。
上京でもなく、派手な成功でもなく、ただ家賃を払い、寝坊しないように働き、たまに恋に失敗し、コンビニのサラダで夜ごはんを済ませるような、少し頼りない毎日。それでも母は、そんな私の部屋でドライヤーを使って、「いいじゃん、あったかい感じの家だね」と笑ってくれたのです。
びっくりしたのはここからでした。処分する前に最後に一度だけ使おうと思って、その古いドライヤーのスイッチを入れたら、まったく風が出ませんでした。壊れていたんです。つい数日前まで、私は“まだ使える”と思い込んで、毎晩コードだけ丁寧に巻いていたのに、本体はもうとっくに終わっていた。
留まらない面ファスナーの話を書こうとしていたのに、ほんとうに壊れていたのは、もっと中心のほうだった。しかも私は、それに全然気づいていなかった。
これ、暮らしだけの話じゃないのかもしれません。恋愛も、仕事も、人間関係も、表面のちょっとした不便ばかり気にしているうちに、肝心の心の奥のほうが先に止まっていることがある。私たちは案外、コードのほつれには気づけても、本体が風を出せなくなっていることには鈍いのです。
だから私は、あの古いドライヤーを処分する前に、面ファスナーだけをそっと切り取って、小さな引き出しに入れました。使い道はありません。正直、かなり変です。誰にも共感されない気もします。でも、そういう役に立たないものを一つ持っているくらいで、暮らしは少しだけ小説に近づくのかもしれない、とも思うのです。
春の終わりかけの夜、髪を乾かしながら私は、新しいドライヤーのぴたりと留まる面ファスナーを見て、少しだけさみしくなりました。ちゃんと機能するものは、正しい。でも、もう役目を終えたのに手放せないものには、正しさとは別の体温がある。
そんなことを考えていたら、作家になりたいなんて、ずっと人には少し照れくさくて言えなかった気持ちまで、急に輪郭を持ってきました。私はたぶん、誰も見向きもしない黒い面ファスナーみたいなものに、人生の続きを勝手に読んでしまう人間です。だったらもう、それを恥ずかしがらなくていいのかもしれません。
バズる記事って、たぶんもっと賢くて、もっと役に立って、もっと早く答えをくれる。でも、もし今日この文章をここまで読んでくれた人がいるなら、その人もきっと、何か一つくらい、説明のつかないまま手放せないものを持っているはずです。そして案外、その“役に立たない執着”の中にこそ、その人だけの物語が眠っているのだと思います。
■>>髪を美しく、毎日を軽やかに変える。ドライヤーの究極形。【baton】




