部屋が静かすぎて落ち着かない日、雨上がりの違和感に隠れていた本当の原因

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    雨上がりの静けさが、なぜか私を不安にさせた日

    雨の日

    雨音が止んだだけなのに、部屋が急に知らない場所みたいでした

    4月28日。
    暦の上では春も深まり、そろそろ立夏の気配が近づいてくる頃です。新緑が少しずつ濃くなって、日差しの中にも「もう初夏の準備をしていますよ」という顔が混ざり始めます。

    そんな季節なのに、私は朝から少しだけ落ち着きませんでした。

    理由は、とても小さいです。

    雨が止んでいたからです。

    たったそれだけです。

    昨日まで、窓の外では雨がずっと細かく鳴っていました。
    ザーザーというほど強くもなく、でも完全に無視できるほど弱くもない、あの春の雨です。

    仕事から帰ってきて、バッグを床に置いて、メイクを落とす前にスマホを見て、気づけばソファで少しだけ沈没している夜。
    その間も、雨は窓の外でずっと小さく鳴っていました。

    最初は「また雨か」と思っていました。
    洗濯物が乾かないし、靴もなんとなく湿るし、髪もまとまらないし、春の雨って地味に面倒です。

    でも不思議なもので、数日続くと、その雨音が生活の背景になっていました。

    スマホをスクロールする音。
    冷蔵庫がたまに低くうなる音。
    お風呂を沸かす音。
    そして、窓の外の雨音。

    それらが全部混ざって、私の部屋の「いつもの音」になっていたのです。

    だから今朝、雨が止んでいたことに気づいた瞬間、なぜか部屋が広く感じました。

    静かすぎる。

    そう思いました。

    普通なら、晴れた朝は嬉しいはずです。
    洗濯できる。
    靴を選びやすい。
    髪も少しは言うことを聞いてくれる。
    通勤中に傘を持たなくていい。

    いいことしかないはずなのに、私はカーテンを開けながら、少しだけ胸の奥がスカスカしました。

    雨音がなくなっただけで、部屋の空白が見えてしまったような気がしたのです。

    大人になると、こういう小さな違和感を説明するのが難しくなります。

    「寂しい」と言うほど大げさではありません。
    「疲れている」と言えばそうかもしれません。
    「不安」と呼ぶには、理由がなさすぎます。

    でも、たしかに何かがあるのです。

    何も起きていないのに、心だけが少し遅れてついてくる感じです。

    春は、明るい季節の顔をしています。
    新生活、出会い、花、薄手の服、ゴールデンウィーク前のそわそわ。
    世の中は「前向きになりましょう」と言っているみたいです。

    でも実際の私は、そこまで軽やかではありません。

    新しい季節に背中を押されるたび、少しだけ置いていかれるような気持ちになります。

    雨が降っている間は、外に出ない理由がありました。
    部屋にこもっていても、少しだけ許される気がしました。
    何も進んでいなくても、「今日は雨だし」と言えました。

    でも雨が止むと、その言い訳も一緒に消えてしまいます。

    窓の外は明るい。
    道路は乾き始めている。
    どこかに行けそうな空気がある。

    それなのに私は、部屋着のまま、昨日のマグカップを流しに置いたまま、ぼんやり立っていました。

    雨上がりの静けさは、やさしい顔をして、私に聞いてきます。

    「で、あなたは今日どうするの?」

    それが少し、しんどかったのです。

    静けさが怖いのは、私がサボっているからではありません

    雨の日

    昔の私は、こういう気持ちになるたびに、すぐ自分を責めていました。

    晴れているのに動けないなんて。
    せっかくの休みなのに何もしないなんて。
    部屋も片づいていないし、肌もくすんでいるし、将来のこともちゃんと考えていないし。

    まるで、静かな部屋の中にいるだけで、採点されているような気分になるのです。

    けれど最近、少しだけ思うようになりました。

    静けさが怖いのは、私が怠けているからではなくて、普段どれだけ音に助けられていたかに気づいてしまうからなのかもしれません。

    雨音は、やさしい目隠しみたいなものです。

    部屋の散らかりも、心の散らかりも、未来へのぼんやりした不安も、全部うっすら包んでくれます。

    雨が降っていると、世界全体が少しだけスローモーションになります。
    みんなもきっと急いでいない。
    私だけが止まっているわけじゃない。
    そんな気がして、少し安心するのです。

    でも雨が止むと、世界がまた通常運転に戻ります。

    車の音がはっきり聞こえる。
    鳥の声が妙にクリアに響く。
    隣の部屋の生活音まで、いつもより近く感じる。

    静けさというより、音の輪郭が急に濃くなる感じです。

    その中で、自分の内側の声まで聞こえやすくなってしまいます。

    本当は疲れていたこと。
    本当は誰かに褒めてほしかったこと。
    本当は予定のない週末を楽しむより、少し怖がっていたこと。
    本当は「ひとりの時間が好き」と言いながら、誰からも連絡が来ない夜に少し傷ついていたこと。

    雨音があるときは、そこまで聞こえませんでした。

    だから静けさは、ときどき優しすぎて残酷です。

    4月の終わりは、特にそうです。

    新年度のバタバタが少し落ち着いて、でもゴールデンウィーク前で、世の中のテンションだけが妙に上がっていきます。
    「どこ行くの?」
    「何するの?」
    「予定ある?」
    そんな会話が増える時期です。

    予定がある人は楽しそうです。
    予定がない人は、予定がないことをわざわざ説明しなければならない空気になります。

    私は別に、ひとりが嫌いではありません。

    むしろひとりで過ごす時間は好きです。
    誰にも気を遣わず、好きなタイミングでコーヒーを飲んで、好きなだけスマホを見て、眠くなったら寝られる。

    最高です。

    最高のはずなのに、春の静けさの中では、その「ひとり」が少しだけ大きく見える日があります。

    たぶん、誰かと比べているのです。

    旅行に行く友達。
    家族で出かける同僚。
    恋人と予定を合わせている人。
    新しい趣味を始めた人。
    朝からランニングしている知らない誰か。

    そんな人たちの姿を、私は勝手に想像して、勝手に疲れています。

    そして、雨上がりの部屋で思うのです。

    私は何も変わっていないな、と。

    でも本当は、何も変わっていない日なんて、たぶんありません。

    昨日より少しだけ季節は進んでいます。
    湿った空気は乾き始めています。
    冬物のコートはもう出番を失っています。
    冷たい飲み物を選ぶ日も増えてきました。

    私の心だけが、変化に追いつくのが少し遅いだけです。

    だから、雨上がりの静けさに戸惑う日は、何かを頑張る日ではなく、心の耳が敏感になっている日なのだと思うことにしました。

    そう思うだけで、少し呼吸がしやすくなります。

    そして私は、雨音が恋しかったわけではないと気づきました

    昼前になって、私はようやく洗濯機を回しました。

    雨が止んだのだから、洗濯くらいしよう。
    そう思ったのです。

    とはいえ、気合いの入った家事ではありません。
    洗濯ネットに入れるべき服をそのまま入れそうになり、柔軟剤の量も少し適当で、干す前からすでに疲れていました。

    それでも、洗濯機が回り始めると、部屋に音が戻ってきました。

    水が流れる音。
    洗濯槽が回る音。
    たまにカタンと鳴る音。

    その瞬間、私は少し安心しました。

    あれ。
    私が寂しかったのは、雨音じゃなかったのかもしれない。

    そう思いました。

    私は、生活が動いている音がほしかったのです。

    雨音は、外から勝手にやってくる音でした。
    私が何もしなくても、部屋を満たしてくれる音でした。

    でも洗濯機の音は、私が動かした音です。

    ほんの小さな違いなのに、それが少しだけ嬉しかったのです。

    私は雨音に守られていたのではなく、雨音に任せていたのかもしれません。
    自分の生活の音を出すことを、少し休んでいただけなのかもしれません。

    そう気づいたら、急に部屋の静けさが怖くなくなりました。

    窓を少し開けると、雨上がりの匂いがしました。
    土とアスファルトと、どこかの家の洗剤みたいな匂いです。

    遠くで子どもの声がして、車が水たまりを踏む音がして、鳥が妙に元気に鳴いていました。

    世界は、私を置いていったわけではありませんでした。

    ただ、普通に動いていただけです。

    私はその中で、少し遅れて洗濯機を回しただけです。

    それで十分なのかもしれません。

    そして、ここで少しだけ話が変わります。

    私はその日、雨上がりの静けさについて、いかにも繊細な女みたいに考えていました。
    心がどうとか、季節がどうとか、ひとり時間がどうとか、かなり真面目に考えていました。

    でも、夕方になって真実がわかりました。

    部屋が静かだった理由。

    雨が止んだからではありませんでした。

    冷蔵庫のコンセントが、半分抜けていました。

    一瞬、時が止まりました。

    あの朝の静けさ。
    胸のスカスカ。
    春の不安。
    人生の余白。
    ひとり時間の寂しさ。
    全部、冷蔵庫の低音が消えていただけだった可能性が出てきたのです。

    私はしばらく、冷蔵庫の前で立ち尽くしました。

    そして、笑いました。

    笑うしかありませんでした。

    私の感受性、冷蔵庫に左右されすぎです。

    でも、なんだかそれでよかった気もしました。

    人間の心なんて、そんなものかもしれません。

    季節のせいにしたり、将来のせいにしたり、恋愛のせいにしたり、自分の弱さのせいにしたりするけれど、実はただ部屋の音がひとつ減っていただけ。
    実はただお腹が空いていただけ。
    実はただ寝不足だっただけ。
    実はただ、冷蔵庫のコンセントが抜けかけていただけ。

    それでも、その小さな違和感をきっかけに、自分の心を少し見に行けたのなら、無駄ではなかったと思います。

    冷蔵庫のコンセントをしっかり差し直すと、低い音が戻ってきました。

    ブーン。

    いつもなら気にも留めない音です。

    でもその日は、なんだか頼もしく聞こえました。

    生活って、こういう音でできているのかもしれません。

    雨音。
    洗濯機。
    冷蔵庫。
    スマホの通知。
    お湯が沸く音。
    自分のため息。
    たまに笑ってしまう声。

    どれも特別ではないけれど、なくなると少しだけ心が揺れます。

    そして、心が揺れたとき、私たちは大げさに人生を考えてしまいます。

    でもそれでいいのだと思います。

    雨上がりの静けさに不安になって、冷蔵庫のコンセントに現実へ戻される。
    そんな一日も、ちゃんと私の生活です。

    キラキラしていなくても、誰かに自慢できなくても、ブログにするには地味すぎても、私はこういう日のことを忘れたくありません。

    だって、たぶん大人の毎日は、派手な事件よりも、こういう小さな勘違いでできているからです。

    今日、もし部屋が妙に静かに感じたら。
    心が不安定なのかもしれません。
    季節の変わり目なのかもしれません。
    少し休んだほうがいいサインかもしれません。

    でもその前に、一応、冷蔵庫のコンセントも見てください。

    意外と、人生のモヤモヤはそこから始まっているかもしれません。

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