みどりの日に、私はスマホの通知音を育てていました

予定がない日ほど、通知音はやけに大きく聞こえます
2026年5月4日、みどりの日です。
外では新緑がまぶしくて、風まで「ちゃんと生きてますか」と聞いてくるような午後でした。
ゴールデンウィークの真ん中。
本来なら、少し遠くのカフェに行ったり、気になっていた映画を観たり、薄手のワンピースを着て季節に浮かれてもいい日です。
けれど私は、部屋の真ん中でスマホを伏せたり、表に返したりしていました。
通知は来ていません。
なのに、来る気がするのです。
これが本当に厄介です。
予定がぎっしり詰まっている日より、何も予定がない日のほうが、誰かからの連絡を待ってしまいます。
仕事の日なら気にならない一通のLINE。
でも休日になると、その一通が急に人生の採点表みたいな顔をしてくるのです。
「誰からも誘われない私」
「誰の一番でもない私」
「連休なのに、スマホだけ見ている私」
そんなふうに、たった一台の小さな端末に、自分の価値まで預けてしまいそうになります。
でも、よく考えたらスマホはただの機械です。
通知が来ないからといって、私がつまらない人間になったわけではありません。
……と、頭ではわかっています。
問題は、心がまったく納得していないことです。
通知を待つ時間は、恋愛でも友情でもなく「自分への未読」かもしれません
通知を待っているとき、私は誰かを待っているようで、実は自分自身を待っていたのかもしれません。
誰かに「今なにしてる?」と聞かれたかったのではなく、私自身が私に聞いてあげたかったのです。
「今日、ほんとは何したい?」
「寂しいの?」
「疲れてるの?」
「誰かに選ばれたい気持ち、あるよね?」
普段は忙しさでごまかせる感情が、連休になると急に顔を出します。
洗濯機の終了音よりも、電子レンジのチンよりも、スマホの通知音にだけ敏感になる夜があります。
それはきっと、暇だからではありません。
心に余白ができたからです。
余白は怖いです。
何も入っていないように見えるからです。
でも本当は、余白があるから、自分の本音が聞こえてくるのかもしれません。
私はずっと、誰かからの通知を待っているふりをして、自分の本音を未読にしていました。
「休みの日くらい、ちゃんと楽しみたい」
「でも、お金はあまり使いたくない」
「でも、何もしていないと思われたくない」
「でも、本当は少しだけ、誰かに気にかけてほしい」
そんな小さな気持ちが、通知欄の裏側にびっしり並んでいました。
みどりの日の過ごし方は、遠出より“自分の機嫌に水をあげる”くらいでいいです

みどりの日と聞くと、自然に触れたり、外へ出たり、健やかな休日を過ごさなければいけないような気がします。
でも、緑は公園だけにあるわけではありません。
冷蔵庫の奥で少ししなびた小松菜にもあります。
ベランダに置きっぱなしの観葉植物にもあります。
去年買ったグリーンのハンカチにもあります。
抹茶味のお菓子のパッケージにも、ちゃんと緑はあります。
私は今日、スマホを置いて、部屋の中にある緑を探してみました。
すると不思議なことに、通知より先に目に入るものが増えました。
テーブルの端に置いたままのマグカップ。
洗面所で乾いたヘアゴム。
読みかけの本。
昨日脱いだ靴下。
買ったのに一度も使っていない入浴剤。
私の部屋は、思っていたよりも私の味方でした。
誰かからの連絡がないと空っぽに見えていた休日は、実はちゃんと生活で埋まっていました。
おしゃれな予定がなくてもいいです。
人に言える予定がなくてもいいです。
SNSに載せられない一日でもいいです。
みどりの日の私に必要だったのは、映える新緑スポットではなく、枯れかけた自分の機嫌に少し水をあげることでした。
お湯を沸かす。
シーツを替える。
お気に入りの靴を磨く。
冷たいお茶をグラスに入れる。
スマホを別の部屋に置いて、10分だけ窓を開ける。
それくらいで、休日は少しだけ立て直せます。
劇的に元気にならなくてもいいです。
人生を変えなくてもいいです。
ただ、「私は今日も私を放置しなかった」と思えたら、それだけで十分なのかもしれません。
でも最後に、通知音が鳴った相手はまさかの人でした
夕方になって、私はようやくスマホを手に取りました。
画面は静かでした。
やっぱり誰からも来ていません。
少し笑ってしまいました。
ここまで待たせておいて、何もないなんて、スマホもなかなかの塩対応です。
そのときです。
ピコン。
通知音が鳴りました。
心臓が、わかりやすく跳ねました。
好きな人かもしれない。
友達かもしれない。
昔の同僚かもしれない。
私は急いで画面を見ました。
そこに表示されていたのは、通販アプリからの通知でした。
「あなたへのおすすめ:折りたたみ式ガーデニングチェア」
笑いました。
よりによって、みどりの日にガーデニングチェア。
しかも私は庭を持っていません。
ベランダも、椅子を置いたら洗濯物が干せなくなるサイズです。
でも、その瞬間なぜか思ったのです。
私は誰かからの通知を待っていたけれど、本当に必要だったのは、外に座るための椅子ではなく、自分の心に座る場所だったのかもしれません。
誰かの返信を待つ場所ではなく、私が私に戻る場所。
通知が来ない休日は、負けではありませんでした。
むしろ、誰にも呼ばれなかったからこそ、自分の声を聞ける日でした。
私は通販アプリを閉じて、スマホを伏せました。
そして、ベランダの窓を少しだけ開けました。
外から入ってきた風は、ちゃんと5月の匂いがしました。
誰からも誘われなかった一日。
誰にも褒められなかった一日。
でも、私は私を少しだけ迎えに行けた一日。
通知音を待っていたはずの連休は、最後に、自分からの未読メッセージを開く日になりました。
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