夜に決めた服を、朝の私はなぜ信用できないのか

6月2日。暦の上ではそろそろ梅雨の気配が近づき、窓の外の空気も、少しだけ水を含んだように重たく感じます。朝晩の気温差に迷い、天気予報の傘マークを見て、またクローゼットの前で立ち止まる季節です。
この時期の服選びは、ただのファッションではありません。
「明日、何を着ていこう」
そう思って夜に服を出しておくのに、朝になると急に不安になることがあります。
昨日の夜は、これで大丈夫だと思っていました。
きれいめのブラウス。
濡れても目立ちにくいスカート。
歩きやすい靴。
ちゃんと考えたはずなのに、朝の鏡の前に立つと、なぜか別人の判断に見えてきます。
「これ、若作りに見えないかな」
「逆に地味すぎるかな」
「今日の予定に合ってるかな」
「なんか、私だけ頑張ってる感じしないかな」
服はただの布なのに、30代になるとそこに、年齢、仕事、恋愛、生活感、自信のなさまで全部くっついてくる気がします。
20代の頃は、似合うかどうかより「着たいかどうか」で選べた日もありました。
でも今は、着たい服の前に、小さな審査員が何人も立っています。
会社の人にどう見えるか。
婚活相手にどう見えるか。
友達に疲れて見えないか。
若すぎないか。
老けて見えないか。
ちゃんとして見えるか。
でも、ちゃんとしすぎて見えないか。
もう、服を選んでいるのか、自分の見え方を弁明しているのか、わからなくなる夜があります。
国産藍をつかった日本初の青汁【藍の青汁】「明日の私なら着こなせる」と思って眠る夜
夜の私は、少しだけ前向きです。
お風呂に入って、スキンケアをして、髪を乾かして、部屋の明かりを少し落とすと、「明日はちゃんとできるかも」と思えます。
だから、少し明るい色の服を選びます。
最近着ていなかったワンピースを出してみます。
いつもの黒ではなく、やわらかいベージュを手に取ってみます。
「明日の私は、今日より少し軽い気分で出かけられるかもしれない」
そんな期待を込めて、ハンガーに服をかけます。
でも朝になると、その期待が少し重く感じるのです。
寝起きの顔。
少しむくんだまぶた。
まとまらない髪。
時間がない焦り。
スマホに届いた仕事の通知。
その瞬間、夜の自分が選んだ服が、急にまぶしく見えます。
「こんな顔で、この服を着るの?」
そう思って、結局いつもの服に戻してしまうことがあります。
本当は、その服が似合わないのではないのです。
服に合わせる元気が、朝の自分に残っていないだけなのです。
30代の毎日は、誰かに見せる前からすでに忙しいです。
起きる。
顔を洗う。
髪を整える。
ゴミの日を思い出す。
天気を確認する。
肌の調子を見る。
今日の予定を思い出す。
そして、鏡の前で自分を評価してしまう。
この数分間で、心がかなり削られる日があります。
服選びが苦しい日は、おしゃれが嫌いになったわけではありません。
むしろ、自分を少しでもよく見せたい気持ちが、まだ残っているから苦しいのだと思います。
似合う服より、責めてこない服を選びたくなる朝
大人になると、「似合う服を着ましょう」とよく言われます。
でも、正直に言うと、朝に欲しいのは似合う服だけではありません。
責めてこない服です。
座ったときにお腹まわりが気にならない服。
汗をかいても焦らない服。
雨に濡れても落ち込まない服。
職場で浮かない服。
誰かと急に会っても、まあ大丈夫と思える服。
つまり、私たちは服におしゃれだけではなく、安心まで求めているのです。
だからクローゼットには、好きだけど着ていない服が増えていきます。
買ったときは、ときめいた服。
試着室では似合っていた服。
休日の私なら着られそうだった服。
でも平日の朝には、少しだけ勇気が必要な服。
その服を見るたびに、「私はまた、なりたい自分に追いつけなかった」と思ってしまうことがあります。
でも、本当は違うのかもしれません。
服を着られなかった日は、負けた日ではありません。
ただ、その日の自分を守った日なのです。
無理して明るい服を着るより、安心できる服で一日を乗り切るほうが大事な日もあります。
誰にも褒められなくても、ちゃんと帰ってこられたなら、それは十分すごいことです。
6月の湿った空気の中で、髪が広がって、メイクが少し崩れて、靴の中がじんわりしても、それでも仕事に行って、人に挨拶して、帰りにスーパーへ寄る。
それだけで、もう十分に生活をやっています。
おしゃれな人に見えなくてもいい日があります。
魅力的な女性に見えなくてもいい日があります。
誰かの理想の30代に見えなくてもいい日があります。
ただ、自分が自分を嫌いにならずに済む服。
それを選べたら、今日はもう合格なのだと思います。
クローゼットの奥にあった服が、私を裏切った日
この前、ずっと着ていなかった白いブラウスを見つけました。
買ったのはたぶん、去年の初夏です。
「これを着たら、少し上品な人になれるかも」と思って買った服でした。
でも実際には、ほとんど着ませんでした。
汚したら嫌だな。
透けるかな。
気合い入って見えるかな。
今日はそんな日じゃないかな。
そうやって理由をつけて、クローゼットの奥にしまったままでした。
6月2日の朝、なぜかその白いブラウスを手に取りました。
外は曇りで、雨が降りそうで、決して白い服に向いている日ではありませんでした。
でも、なぜか着てみたのです。
鏡の前に立つと、思っていたより似合っていました。
顔色が少し明るく見えました。
髪のまとまらなさも、少しだけ「抜け感」みたいに見えました。
私は少し笑って、「なんだ、着られるじゃん」と思いました。
そして、そのまま仕事へ行きました。
びっくりしたのは、その日、誰にも服を褒められなかったことです。
誰も「今日かわいいね」と言いませんでした。
誰も「雰囲気違うね」と言いませんでした。
誰も、私の小さな勇気に気づきませんでした。
拍子抜けしました。
でも帰り道、コンビニのガラスに映った自分を見たとき、ふと気づきました。
私はずっと、誰かに見られるために服を選んでいると思っていました。
でも本当は、私が私を見るために服を選んでいたのです。
誰にも褒められなかった白いブラウスは、私を少しだけ裏切りました。
「誰かに認められないと意味がない」と思っていた私を、静かに裏切ってくれました。
その服は、世界を変えませんでした。
恋も始まりませんでした。
人生も劇的には動きませんでした。
ただ、帰り道の私が、少しだけ自分に優しくなれました。
それだけでした。
でも、たぶんそれがいちばん大きかったのです。
夜に決めた服を、朝の私は信用できない日があります。
だけど、朝の私が選び直した服も、夜の私が出しておいた服も、どちらも間違いではありません。
どちらも、その日の私をどうにか守ろうとしてくれた証拠です。
クローゼットの前で迷う時間は、無駄ではありません。
それは、自分を雑に扱わないための、小さな会議なのだと思います。
明日の朝も、きっと迷います。
雨が降るかもしれません。
髪が決まらないかもしれません。
肌の調子も、気分も、予定通りにはいかないかもしれません。
それでも、ハンガーにかけた服を見ながら、私はまた思うのです。
「明日の私は、今日より少しだけ自分に優しくできますように」
そしてもし朝になって、その服を着られなかったとしても、それでいいのです。
着られなかった服は、失敗ではありません。
いつかの自分に渡す、未来の手紙みたいなものです。
クローゼットの奥で眠っている服は、もしかすると、私を待っているのではなく、私が私に戻る日を、静かに覚えていてくれているのかもしれません。





