推しの一言で人生が明るくなる理由…日常のしんどさを軽くする幸福スイッチの見つけ方

推し活があるだけで毎日がんばれるって、ちょっと大げさに聞こえるかもしれません。でも、正直なところ私は「推しがいなかった頃の自分にはもう戻れない…!」と本気で思っています。
仕事でミスして落ち込んだ日も、恋愛がうまくいかなくて布団の中でひとり反省会している夜も、最後に私を現実からすくい上げてくれるのは、スマホの中の推しの笑顔だったりします。タイムラインに流れてきた新しい写真、さりげない一言、ふとした仕草。それだけで「あ、明日もとりあえず生きてみるか」と思えるから不思議です。
今回は、そんな“推しがいる人生”について、私自身のリアルな気持ちと、日々の中で感じている変化をぎゅっと詰め込んでみました。同じように推しがいるあなたも、まだ出会っていないあなたも、「好きな人がいるってやっぱりすごい」と、少しでも心があたたかくなってもらえたらうれしいです。
推しがいるだけで毎日が変わる理由
推しの一言が“メンタルサポーター”になる
「推しがいる人生って幸せだよ」と言われても、昔の私は正直あまりピンときていませんでした。アイドルや俳優さんを全力で推している友だちを見ても、「楽しそうだな〜」くらいにしか思っていなかったんです。でも、ある日ふとしたきっかけでハマってしまった推しのおかげで、今ではその言葉の意味を全身で理解しています。
たとえば、仕事でクタクタになって帰ってきた夜。家に着くころにはメイクもヨレヨレ、気持ちもどんより。「今日もダメだったな…」なんて落ち込んでしまうこともありますよね。そんなとき、タイムラインに流れてきた推しの笑顔や、新しく更新された動画、ちょっとしたコメントを見つけるだけで、「あ、この人も今日一日がんばってたんだ」「私ももう少しだけがんばってみようかな」と、ふっと心が軽くなる瞬間があるんです。
私はよく、推しの存在を「いつでもアクセスできるメンタルサポーター」だと思っています。直接会話ができるわけでもないし、こちらの状況をわかってくれているわけでもないのに、勝手に支えられて、勝手に励まされている。でも、その「一方的な片思いみたいな応援」が、実はすごく安全で、心にやさしい距離感なんですよね。
ここで少し、私なりの“推しのすごさ”についての私見を。
推しのすごいところって、「私の毎日を知らないはずなのに、ちゃんと必要な言葉を届けてくれる」ところだと思うんです。しんどい日に限って、なぜか優しい言葉のインタビューが流れてきたり、くじけそうなときに限って「無理しすぎないでね」と言ってくれるようなテロップつき動画を見つけたり。偶然かもしれないけれど、「あ、この人を好きになった自分の感性って、やっぱり間違ってなかったんだ」と思わせてくれる瞬間が何度もあって、そのたびに自分のことも少しだけ信じられるようになりました。
読者のあなたにも、こんな経験はありませんか?
- すごく落ち込んだ日に限って、推しの笑顔に救われた
- 何気ない一言が、その日一日を乗り切るお守りになった
- 「この人ががんばってるなら、私ももう少しだけ」と思えた
- 推しの存在を思い出して、ベッドから起き上がれた朝がある
もしひとつでも「ある」と思えたなら、あなたにとって推しは、もう立派なメンタルサポーターだと思います。
「一方的な愛」がくれる安心感
恋愛って、どうしても相手の反応に振り回されてしまいがちです。返信の速さにモヤモヤしたり、既読がつかなくて不安になったり、つい「私ばっかり好きなんじゃないかな?」なんて考えてしまったり…。比べて、推しに向ける気持ちは、ある意味とてもシンプルです。見返りを求めない分、傷つきにくいし、自分のペースで好きでいられるからです。
もちろん、リアルの恋だって素敵です。でも、推し活のいいところは、心が消耗しすぎない絶妙な距離感にあります。こちらから一方的に好きでいられるし、嫌われる心配もない。現場に行けるときは全力で会いに行って、忙しいときは画面越しにそっと応援する。その自由さが、日常のストレスでカチコチになった心を、じんわりほぐしてくれるように感じています。
私が感じる「推しの愛の安心感」はこんなイメージです。
- 連絡を待たなくていいから、精神的に振り回されない
- 「嫌われたかも」と不安になる必要がない
- 自分のペースで距離感を選べる
- 好きな気持ちを否定されることがほとんどない
- 落ち込んだときに、すぐアクセスできる“心の避難先”になる
こうして並べてみると、推しってまるで心のセーフハウスのような存在ですよね。「ここに戻ってくれば大丈夫」と思える場所がひとつあるだけで、私たちは現実世界でちょっとくらい傷ついても、もう一度立ち上がることができるのだと思います。
私見としては、「推しって、恋愛と同じくらい熱くて、でも恋愛より少しだけ安心な愛情表現」だと感じています。片思いなのはわかっているけれど、その片思いが自分をどんどん弱らせるものではなく、むしろ元気をチャージしてくれるものになっている。そんな愛のかたちがあるって知っただけでも、生きるのが少しラクになりました。
しんどい一日を乗り切るための“推し活ルーティン”
私には、特にしんどい日にこっそり発動させる「推し活ルーティン」があります。たとえば、こんな感じです。
- 朝、出かける前に推しの写真を一枚だけ見る
- 通勤中のBGMは、推しが関わっている曲や作品にする
- お昼休みにXやインスタで最新情報をちらっとだけチェック
- 夜寝る前に、推しのインタビューや過去の動画を一本だけ見る
- 「今日も一日がんばったね」と自分と推しに心の中でお礼を言う
一つひとつはすごく小さなことですが、この小さなスイッチをちりばめておくことで、一日全体の「心の温度」がじんわり上がる感覚があります。特に、朝と夜の推し活タイムは私にとって大切な儀式。朝は「今日もなんとかがんばろう」のスタートボタン、夜は「今日も生き延びたね」のリセットボタンみたいなものです。
思い返せば、仕事で大きなミスをして、帰り道に涙が止まらなくなった日がありました。もう全部投げ出してしまいたくて、最寄り駅のベンチに座り込んで、ひとりでぼーっとスマホを眺めていたんです。そのとき、たまたま目に入ったのが推しの笑顔と「大丈夫、ゆっくりでいいよ」という言葉が書かれたテロップつきの動画でした。もちろん私に向けられた言葉じゃないのに、「あ、今の私に必要な言葉だ」と、なぜか心の奥にすとんと落ちてきたんです。
家に帰るころには、さっきまでの涙が嘘みたいに落ち着いていて、「明日謝って、ちゃんとやり直そう」と思えていました。あのときの私を救ってくれたのは、間違いなく推しの存在でしたし、「誰かを一方的に応援しているはずなのに、いつの間にか自分が支えられている」という推し活の不思議さを、全身で感じた出来事でもあります。
私見として感じているのは、「推し活って、現実逃避ではなく現実を生き抜くための燃料なんだ」ということです。好きな人を好きなだけ眺めて、声を聞いて、存在に救われる。その時間があるからこそ、しんどい現実にも戻っていける。推しの存在がなかったら、きっともっと簡単に諦めてしまっていた場面が、私にはたくさんあったと思います。
推し活がくれる「自分らしさ」と自己肯定感

推しを語る時間が、自分を好きになる練習になる
推し活を続けていて感じるのは、「推しについて語っているときの自分って、ちょっと誇らしげで楽しそう」ということです。友だちとカフェで、オンライン上で、Xのスペースで…どこであっても、推しについて話しているときって、自然と声が弾んで、表情も柔らかくなっていませんか?
私はもともと、自分のことを語るのがあまり得意ではありませんでした。何を好きだと言っても「センスないと思われたらどうしよう」とか、「こんなこと言ったら重いかな」とか、余計なことばかり考えてしまうタイプ。でも、推し活を通じて少しずつ変わってきた感覚があります。
推しを語るときって、こんなふうに気持ちがあふれてきます。
- 「ここが本当に素敵なんだよ」と、相手に伝えたい気持ちが止まらない
- 一度話し始めると、エピソードがどんどん出てくる
- 語っているうちに、自分の“好き”の傾向が見えてくる
- 「こんなに誰かを好きになれる自分、悪くないかも」と思えてくる
これって実は、「自分の感性を大事にする練習」でもあるんですよね。誰かを好きになるということは、その人の何かに自分の感性が反応したということ。その反応を否定せず、大切に抱きしめてあげることは、そのまま自分自身を肯定することにもつながります。
私見として感じるのは、「推しを大切にしている人は、自分の“好き”も大切にできるようになる」ということです。周りから理解されないかもしれない、引かれるかもしれない、そんな不安を抱えながらも、それでも好きでい続ける。その強さが、日常の中のいろいろな選択にも、じんわり影響している気がしています。
読者のあなたにも、こんな問いかけをしてみたいです。
「最近、誰かや何かを“全力で好き”と言えてますか?」
「本当は好きなのに、恥ずかしくて隠しているものはありませんか?」
もし心のどこかがチクリとしたなら、その“チクリ”は、あなたの中の“好きの芽”かもしれません。
推し活仲間とのつながりが、孤独感をやわらげてくれる
大人になると、新しい友だちってなかなかできませんよね。仕事関係か、昔からの友人か、せいぜい趣味のコミュニティ。学生時代のように、「同じクラスだから仲良くなる」というわけにもいきません。それでも、推し活をしていると、不思議なくらい自然に人とのつながりが生まれます。
同じ推しを好きな人が集まるXのタグ、ファン同士が交流できるコミュニティ、現場やイベントでたまたま隣になった人との会話。そこから生まれるご縁って、本当にあたたかいものが多いです。「どこから来たんですか?」「いつから推してるんですか?」そんな一言から始まった会話が、いつの間にか「最近仕事どうですか?」みたいな、ちょっと深めの話に変わっていったりするんですよね。
私も、社会人になってからできた友人の中で、「推し活きっかけ」の人はかなり多いです。年齢も住んでいる場所もバラバラなのに、推しの話になると一気に距離が縮まる感じがします。画面越しのやりとりが中心でも、同じ時間に同じ配信を観て、同じタイミングで沸ける。それだけで「ひとりじゃない」と思えるのは、とても心強いことです。
実際、私のまわりでも、こんな声をよく聞きます。
- 「リアルの友だちには言えない悩みも、推し活仲間には素直に話せる」
- 「仕事でつらいことがあっても、推し友と語っているうちに元気になれる」
- 「地方に住んでいても、同じ推しを好きな人とつながれるのがうれしい」
- 「イベント遠征で、一緒にホテルをシェアする仲になった」
推し活のコミュニティは、もちろん人間関係のむずかしさがゼロなわけではありません。でも、「同じ人を好き」というだけで、最初から共通の話題があるのは、とても大きな安心材料です。孤独を完全になくすことはできなくても、「私のことをわかってくれる人がどこかにいる」と思えるだけで、日常の心の重さはかなり変わると感じています。
ここで、私自身のエピソードをひとつ。
初めてひとりで現場に行ったとき、会場に向かう道の途中で急に心細くなってしまったことがありました。「私、ひとりで浮いてないかな」「まわりはみんな友だち同士だったらどうしよう」。不安な気持ちのまま列に並んでいると、前にいた女の子がふと振り返って「そのバッグ、すごくかわいいですね」と話しかけてくれたんです。そこから自然に会話が始まって、お互いの推しへの愛を語っているうちに、開演前にはすっかり“現場友だち”のような空気になっていました。終演後には、「またどこかの現場で会えたらいいですね」と笑い合って解散。名前も知らないままなのに、あのとき感じたあたたかさは、今でもずっと残っています。
あの日から、「推しがいる世界には、まだ会っていない優しい誰かがいるかもしれない」と思えるようになりました。
私が推し活で自己肯定感を立て直したエピソード
ある時期、私は仕事でも恋愛でも自信をなくしていて、「私なんて…」が口ぐせのようになっていたことがありました。何をしても中途半端に感じて、SNSを開けばキラキラした同世代の投稿が目に飛び込んでくる。そのたびに、自分だけ置いていかれているような気持ちになって、スマホを閉じてはため息をつく日々。
そんなときに支えてくれたのが、推しの存在と推し活仲間でした。ある配信で、推しがこんなことを話していたんです。
「うまくいかない日があっても、それでもステージに立ち続けている自分を、ちゃんと褒めてあげたい」。
その言葉を聞いた瞬間、「あ、私も同じかもしれない」と思いました。私だって完璧じゃないし、いつも余裕があるわけじゃない。それでも毎日仕事に行って、家に帰って、ごはんを食べて、なんとか今日を終わらせている。それだけでも、本当はすごいことなのかもしれない。
そのあと、推し活仲間とのグループチャットで、思い切って「最近ちょっと自分に自信がなくてさ…」と打ち明けてみました。すると、返ってきたのは想像以上にあたたかい言葉たち。
- 「わかるよ、私もそういう時期あった」
- 「今日も仕事行っただけでえらい!って思おう」
- 「推しもがんばってるし、私たちもゆっくり進もう」
画面越しなのに、涙が出そうなくらい救われました。「私だけがおかしいんじゃないんだ」「しんどいって言ってもいいんだ」と思えたことが、自己肯定感を立て直す大きな一歩になった気がします。
それ以来、私は少しだけ自分にやさしくなりました。できなかったことより、できたことに目を向けるように意識して、「今日もちゃんと生きたね」と自分をねぎらうようにしています。そして、そのきっかけをくれたのは紛れもなく推し活でした。「誰かを好きでいること」が、こんなにも自分を救ってくれるなんて、昔の私は想像もしていませんでした。
最後に、推し活がくれる自己肯定感の変化を、私なりにまとめてみました。
| before(推しがいなかった頃) | after(推しがいる今) |
|---|---|
| 自分のことをすぐ否定しがち | 「まあいっか」と受け流せる日が増えた |
| 休むことに罪悪感があった | 推しを観ながら休む時間を「ご褒美」と思える |
| 悩みをひとりで抱え込みがち | 推し活仲間に本音を打ち明けられる |
| 他人と比べて落ち込むことが多い | 「私は私」と思える瞬間が増えた |
推し活をもっと心地よく楽しむためのマイルール

無理しないお金と時間の使い方
推し活って、楽しい反面どうしてもお金や時間がかかりますよね。グッズ、チケット、遠征、配信、サブスク…。気づいたらクレジットカードの明細が大変なことになっていて、ちょっと青ざめた経験がある人も多いはずです。私もかつては「推しのためならなんでも…!」と勢いでポチポチしてしまい、あとから通帳を見て冷や汗をかいたことがあります。
そこで今は、「推し活も自分の生活もどちらも大事にする」という視点で、いくつかマイルールを決めるようにしました。たとえば、こんな感じです。
- 毎月の推し活予算をざっくりでも決めておく
- クレカ払いだけでなく、あえて現金も使って“使った実感”を持つ
- 「本当にときめくもの」以外は、一晩寝てから決める
- 生活費や貯金を削ってまで無理はしない
- グッズは“量よりお気に入りの厳選”を意識する
私見として感じているのは、「推し活は“足りない何かを埋めるための浪費”ではなく、“今の自分をもっと大切にするための投資”であってほしい」ということです。だからこそ、目をそらさずにお金や時間と向き合うことは、実は推しを大事にすることにもつながると思っています。生活がボロボロになってしまうほどの推し活は、きっと推しも望んでいないはずですから。
私自身、遠征やライブを減らした時期があります。そのときは少し寂しさもありましたが、「今の自分には、落ち着いて仕事をがんばる時期が必要なんだ」と思い直しました。すると不思議なことに、配信や映像で推しを観る時間が、以前よりも“丁寧な楽しみ方”に変わっていったんです。一つひとつのコンテンツにじっくり向き合えるようになり、「推し活=現場だけじゃない」と心から思えるようになりました。
SNSとの距離感を整えて、心を守る
推し活とSNSは、今や切っても切り離せない関係です。最新情報はSNSから流れてくるし、ファン同士の交流もタイムライン上で行われることが多いですよね。その一方で、SNSならではのしんどさに疲れてしまうこともあります。
たとえば、こんな瞬間に心がざわついた経験はありませんか?
- 同じ推しを好きな人なのに、考え方が合わずモヤモヤする
- 過激な意見やマウント合戦を見てしまって落ち込む
- 行けなかった現場のレポを見て、置いていかれた気持ちになる
- 「自分は軽いファンかも」と勝手に劣等感を抱いてしまう
私も、SNSでの推し活に疲れた時期がありました。タイムラインを開くたびに情報が押し寄せてきて、心が追いつかなくなってしまったんです。それからは、「SNSは推しを楽しむためのツールであって、自分を削るものになってはいけない」と意識するようにしました。
今、私が大事にしているSNSとの付き合い方はこんな感じです。
- しんどいときは、思い切ってミュート・非表示を活用する
- 比較してしまうアカウントは、そっと距離を置く
- 情報を追いすぎないように、“見る時間帯”を決める
- 「自分のペースで好きでいていい」と何度も自分に言い聞かせる
- 誰かを否定するより、「自分の推し活」を整えることに意識を向ける
ある日、勇気を出して「SNSちょっと疲れちゃって…」と推し活仲間に話したことがあります。すると、「わかるよ、無理に全部追わなくていいよ」「自分の心が元気でいられる範囲で楽しもう」と言ってもらえて、とても救われました。そこから少しずつ、「全部知っていなくても、全部参加していなくても、ちゃんとファンだよね」と思えるようになりました。
読者のあなたにも、こんな問いかけをしておきたいです。
「SNSを開くとき、心がふわっと軽くなっていますか?それとも、重くなっていますか?」
もし後者が続いているなら、それは少し休んでみていいサインかもしれません。
私の“心地よい推し活”リスト
最後に、私が今実践している「心地よい推し活」のマイルールを、整理してみました。完璧に守れているわけではないですが、「なんとなくこれを意識していると心がラク」というものばかりです。
| マイルール | 意識しているポイント |
|---|---|
| お金の使い方を決めておく | 無理なく続けられる範囲で楽しむ |
| 全部追わなくていいと決める | 情報を“選んで受け取る”スタンスを持つ |
| 比較より、自分のペースを優先 | ライトでもガチでも、自分の心地よさを最優先 |
| しんどくなったら一度離れる | 離れても、また戻りたくなったらそれでOK |
ここからは、少しだけ個人的なエピソードを。
仕事が忙しすぎて、推し活どころじゃない時期がありました。残業続きで、ごはんを食べてお風呂に入るだけで精一杯。SNSもコンテンツも追えなくて、「こんなんじゃファン失格かな…」とこっそり落ち込んでいました。
そんなとき、久しぶりに時間ができて、推しの過去のライブ映像を一本だけ観たんです。オープニングの一曲目が始まった瞬間、体の奥からじわっと涙が出てきました。「ああ、やっぱりこの人が好きだな」「離れていた時間も無駄じゃなかったな」と、胸の奥がじんわりあたたかくなる感じがしたんです。
そのとき気づいたのは、「距離があいても、情報を追えない時期があっても、好きな気持ちってちゃんと残っている」ということ。推し活はマラソンみたいなものだから、全力疾走し続ける必要はないし、ペースダウンする時期があってもいい。時々立ち止まりながら、それでも「やっぱりこの人が好き」と思えるなら、それで十分なんだと思います。
私見ですが、推し活を長く続けていくうえで大事なのは、「推しのためにがんばる自分」ではなく、「推しのおかげで自分を大事にできる自分」でいることだと思います。推しを理由に夜更かししすぎて体調を崩してしまったら本末転倒だし、無理な課金で生活が苦しくなってしまったら、推しの笑顔も素直に楽しめなくなってしまうかもしれません。
だからこそ、お金・時間・心のエネルギー。その全部をまるっと含めて、「私にとって心地よい推し活ってなんだろう?」と、これからもゆっくり探していきたいなと思っています。
おわりに:推しよ、今日も私を生かしてくれてありがとう
ここまで、私なりの「推しがいる人生」の話をつらつらと書いてきましたが、もし今この記事を読んでいるあなたにも推しがいるなら、きっとどこかで「わかる…!」と頷いてもらえたんじゃないかなと思っています。逆に、まだ推しがいないあなたも、「そんな世界もあるんだな」と、ほんの少しでも心があたたかくなっていたらうれしいです。
改めて思うのは、推し活って決して特別な人だけのものではなくて、「日常をちょっと生きやすくするための小さな魔法」だということです。仕事でヘトヘトな日も、恋がうまくいかない日も、自分のことを好きになれない夜も。そのすべてを一瞬で解決してくれるわけじゃないけれど、「今日もなんとかやってみよう」と思わせてくれる力が、推しには確かにあります。
最後にひとつ、私が今でも忘れられないエピソードを。とても落ち込んでいた時期、たまたま配信で推しがこんなことを話していました。
「うまくいかない日があっても、今日もここまで来てくれたあなたは、それだけで十分えらいよ」。
画面越しなのに、その言葉がまっすぐ自分に向けられたような気がして、気づいたらぽろぽろ涙が出ていました。
もちろん、それは何万人ものファンに向けた言葉だったはずです。それでも、「私もその“あなた”の中のひとりなんだ」と思えた瞬間、世界の見え方が少し変わりました。完璧じゃなくてもいいし、がんばれない日があってもいい。それでも推しは、画面の向こうで笑っていてくれるし、ステージに立ち続けてくれる。その事実が、どれだけ心強いことか。
もし今、少しだけ心が疲れているなら、どうか自分を責めすぎないであげてください。推しがいるあなたも、これから出会うあなたも、自分のペースで、無理のない範囲で、好きな人を好きでいていいと思います。そして同じように、自分のことも少しずつ好きになっていけたら、きっと毎日はもっと優しくなります。
推しよ、今日も私たちを生かしてくれてありがとう。画面のこちら側で、あなたを好きでいられる自分のことも、これからは少しずつ大事にしていきたいと思います。そんな気持ちを、この記事を読んでくれたあなたと、静かに分け合えたならとてもうれしいです。





