ひとり暮らしの夜、下着売り場で「知らないふり」をした

帰り道の空気が、まだ冬の名残みたいに冷たくて、駅からの道を早歩きした。バッグの中で鍵が鳴る音だけがやけに大きくて、マンションのエントランスに入った瞬間、ふっと肩が落ちた。
こういう「誰にも見られてない時間」が好きなはずなのに、今日はなぜか落ち着かない。部屋に着いて、コートを脱いで、電気をつけて、いつものようにお湯を沸かす。その“いつも”が、ちょっとだけうるさく感じた。
たぶん、昼間の小さなズレが残っていた。
職場の雑談で、同い年くらいの子が「最近、VIOのケア用品って種類多すぎません?」って笑いながら言って、周りも「わかる〜」って乗って、私はその輪の中にいるふりをして笑った。
“いるふり”っていうのがポイントで、私はその手の話題になると、いつも言葉が一瞬遅れる。遅れて、追いつけなくて、最後は薄く笑う。そういう場面が地味に多い。
別に潔癖とかじゃないし、話せない理由も大したことじゃない。
ただ、デリケートゾーンって単語が出た瞬間に、心のどこかが「これは人前に出していい話じゃない」と反射してしまう。
私の中には、いまだに“保健体育の授業で止まったままの羞恥”がいて、急に前に出てきて、話題の舵を取る。
だから夜になっても、頭の中がちょっとザワついていた。
湯気の向こうで、マグカップがカタッと鳴る音まで気になって、「ああ、私ってこういうところで神経使うんだな」と変に冷静になる。自分のことなのに、自分がよくわからない。
今日の小さな出来事は、帰りに寄ったドラッグストアの下着コーナーで起きた。生理用品を補充しようと思っただけなのに、ふと視界に入ったのが、VIO用のケア商品とか、黒ずみケアの文字が並ぶ棚で。
私は別に、今すぐ必要ってわけじゃない、と心の中で言い訳しながら、なぜかその棚の前で足が止まった。
棚の近くには、彼氏と電話しながら買い物してる女の子がいて、「今日は遅いんでしょ?じゃあ先にご飯食べるね」って、あっけらかんと言っていた。
その自然さに、ちょっとだけ憧れてしまった。生活を“誰かと共有する”って、きっとこういう小ささの積み重ねなんだろうな、と。
私は、共有してないくせに、共有してる人の自然さにだけ、勝手に胸がザワつく。
レジで「買う自分」に照れる、誰にも言ってない本音
棚の一番下に、デリケートゾーンの黒ずみケアクリーム【ハーバルラビット】があった。丸い、手のひらに収まりそうなサイズで、見た目だけだと“普通のスキンケア”にしか見えないのに、用途が一気に現実を連れてくる。
私は、手に取った瞬間に、急に周りの目が気になってしまった。誰も見てないのに。見てるのは、私だけなのに。
商品を手に取った私の手が、ちょっと汗ばんでいるのがわかった。たぶん緊張。
「別に悪いことじゃない」って頭ではわかるのに、身体が先に“バレたら恥ずかしい”って反応してしまう。
私はこういうとき、自分のことを賢いと思いたくて、わざと難しいことを考え始める。「社会が女性の身体をどう扱ってきたか」とか、「羞恥心は文化だ」とか。
でも正直、それは逃げで、もっと単純に恥ずかしいだけ。
たぶん本音はこれ。
「誰かのためじゃないのに、こういうのを買う自分がちょっと恥ずかしい」。
もっと言うなら、「私はちゃんとしてないのに、ちゃんとしてる人のふりをしようとしてる」みたいな、あの感じ。
しかも、レジっていう場所がまた嫌で。
自分が“何を買う人”なのかが、レジ袋の中身で決まる気がする。誰もそんなこと見てないのに。
私はレジの列に並ぶとき、いまだに小学生みたいに「先生に見つかったらどうしよう」みたいな感覚になることがある。先生なんていないのに。
…ほんと、ややこしい。
美容液を買うときは平気なのに、デリケートゾーンって言葉が入るだけで、私の中の“品行方正警察”が急に出勤してくる。
そしてその警察は、誰よりも私を取り締まるのが得意だ。
それで私は、いったん商品を棚に戻した。
戻した瞬間に「逃げた」って思って、ちょっとだけ悔しくて、でも同時にホッとしてしまった。
この矛盾が、今日の主役。私の中の、恥ずかしさと逃げ癖のセット。
たぶん「黒ずみ」より気になっていたのは、無関心のほう

黒ずみの原因とか、対策とか、そういう話は山ほどあると思う。摩擦だの乾燥だの、生活の癖だの。
でも私がその棚の前で固まったのは、黒ずみが怖いからというより、「自分の身体の“見えない部分”に対して、ずっと無関心でいられた自分」が急に目の前に出てきたからだった。
見えないところは、あと回しにできる。
誰にも見せないところは、雑でもバレない。
そうやって、いろんなことを都合よくスルーしてきた。仕事のことも、将来のことも、人間関係の小さな違和感も、そして自分の身体も。
たとえば、職場の空気がちょっと重いとき。
誰かがピリついているのに、私は「自分が原因じゃないならいいか」と思ってしまう。
気づいてるのに、見えないふりをする。見えないふりをするうちに、見えないふりが上手くなる。
上手くなると、いつの間にか“気づけない人”になっていく。
「気にしない」って強さみたいに言われるけど、私の場合はたぶん、ただの放置。
放置してる間に、気づかないふりが上手くなる。
そして上手くなりすぎると、ある日ふと、棚の前で立ち尽くす。
わかる…っていうより、これ、わかってほしい。
“気にしてないんじゃなくて、気にする余裕がなかっただけ”ってこと、ある。
それは、仕事終わりの体力のなさとか、将来の漠然とした不安とか、人に会う気力が削れていく感じとか、そういうのが全部まとめて「今は深く考えたくない」に変換される日があるからで。
デリケートゾーンって、名前の通りデリケートで、だからこそ言葉にしにくい。
そして言葉にしにくいものって、生活の中でどんどん後回しにされていく。
私はたぶん、身体の“デリケート”と、心の“デリケート”を、同じ棚に放り込んで、ふたをしてた。
ハーバルラビットを調べて、安心と面倒くささが同時に来た
結局その場では買わずに、家に帰ってからスマホで【ハーバルラビット】を調べた。
公式の商品ページには、デリケートゾーンだけじゃなく、ワキや乳首、ひじ・ひざなど、いろんな部位に使えると書いてあった。それを見て少しホッとした反面、「結局これも“見える場所の延長”としてなら扱いやすいんだな」とも思った。私は、都合のいい安心を選びがちだ。
成分も載っていて、有効成分としてグリチルリチン酸2Kと水溶性プラセンタエキス、ほかに3-O-エチルアスコルビン酸やヒアルロン酸などが記載されていた。
こういう“ちゃんと書いてある感”は好き。何が入っているかが見えると、急に心が落ち着く。逆に言うと、私はいつも、見えるものしか信じられていないのかもしれない。
ただ、見える情報を集めたところで、最後に残るのは「続けられるか」という、地味で大きい問題。
使い始めてどれくらいで実感できるかについては、個人差はあるけれど「2ヶ月以上の使用で実感することが多い」との案内があった。
ここで一気に現実がくる。2ヶ月。続けるやつ。
私が苦手なやつ。三日坊主の天敵。
さらに定期コースの注意事項として、周期変更や一時停止、解約は次回お届け予定日の10日前までに電話連絡、2回目は30日後・3回目以降は60日後のお届け、初回は1,628円(税込)で2回目以降は2本で11,000円(税込)といった記載があった。
このへん、ちゃんと読んでおくの大事。私は“申し込みボタンは押せるのに、注意事項は読めないタイプ”だから、そこが一番の敵かもしれない。
(それに、初回だけ受け取ってすぐ解約する場合に化粧箱などの返送が必要、というような注意も書かれていた。こういう現実的なルールを読むと、一気に頭が冴える。)
それでも、画面をスクロールしながら、私は自分の中に小さな反応を見つけた。
「面倒くさい」って思ってるのに、なぜかページを閉じない。
「恥ずかしい」って思ってるのに、情報は知りたい。
この矛盾は、私がまだ“自分を雑に扱うのをやめたい”と思ってる証拠なのかもしれないし、ただの好奇心かもしれない。
ここで変な話をすると、私は“デリケートゾーンをケアする”って行為が、単に身体の話じゃなくて、境界線の話にも見えた。
誰にも見せない場所を、ちゃんと扱う。
誰にも見せない気持ちを、ちゃんと扱う。
人に気を遣いすぎて疲れるときって、だいたい「境界線」がぐにゃっとなる。どこまでが私で、どこからが他人なのかが曖昧になる。
その曖昧さを、私はいつも“まあいいか”で済ませてきた。済ませる方が楽だから。
でも今日は、棚の前で立ち尽くしたせいで、楽な方だけを選べなかった。
自分の身体も、自分の気持ちも、放置でいいことにしてきたのに、放置が一番傷つくやり方だったって、ちょっとだけ気づいてしまった。
…とはいえ、私は急に人生が変わるタイプじゃない。
明日もきっと、仕事のチャットに薄く愛想笑いのスタンプを押すし、疲れたらコンビニの温かいスープに頼るし、部屋の隅の埃を見て見ぬふりをする。
そういう“いつもの私”は、たぶん消えない。
でも、ささやかな変化があるとしたら。
“見えないところを放置してる自分”に、今日だけは気づけたこと。
そして、気づいてしまった以上、次に同じ棚の前に立ったとき、私はもう完全には知らないふりができないこと。
たぶん私は、そのときもまた恥ずかしい。
買うか買わないか、迷う。
その迷いすら、ちょっと情けなくて、自嘲してしまう。
でも、迷うってことは、無関心じゃなくなったってことでもある。
今日の私は、黒ずみケアの棚の前で、なぜか自分のことを雑に扱ってきた履歴と向き合ってしまった。
それは別に、反省して立派になったとか、そういう話じゃない。むしろ逆で、私はまだ、恥ずかしさも面倒くささも抱えたまま、たぶん明日も適当にスルーする。
ただ、スルーしてる自分を、スルーできなくなっただけ。
ねえ、あなたはどう?
誰にも見えない場所を、いちばん雑に扱ってしまうのって、身体だけじゃなくて、気持ちのほうだったりしない?
そして、その雑さを“仕方ない”って言い切る前に、ほんの少しだけ手をかけてみる余地、どこかに残ってたりしない?





