静かな年末、スマホ越しに誰かがいると気づいてしまった私の心の動き

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    ブログを読んでくれている読者様へ。2025年、今年も1年間ありがとうございました

    窓の外は、年末らしい乾いた冷たさで、空気だけがやけに澄んでいて、部屋の中は暖房のせいで少しだけのぼせたみたいにぼんやりしていました。


    床に落ちた髪の毛を見つけて「あ、また掃除してない」と思って、でも今日はなんだかそれすら責める気になれなくて、コップに残ったぬるいお茶を飲みながら、カーテンの隙間から入る街灯の光を眺めていました。年末って、やることは多いのに、気持ちだけが先に「一区切り」を迎えたみたいになって、手が止まりますよね。

    今日、ほんとに小さい出来事がひとつありました。


    ゴミ捨てに行こうと思って、ボサボサの髪のまま、いつものダウンを羽織って、スマホと鍵だけ持って、エレベーターに乗ったんです。時間は夜の少し遅め、外は静かで、ゴミ置き場の灯りがなんとなく白く見えるあの感じ。エレベーターの扉が閉まりかけた瞬間、同じ階の人が滑り込んできて、ふたりになりました。

    その人は、会釈だけして、スマホを見ていました。


    私も、なんとなく気まずくて、エレベーターの鏡に映る自分の顔を見て「ひどいな」って思いながら、視線を泳がせていたら、ふと、その人のスマホ画面が目に入ってしまったんです。


    見ようとしたわけじゃないのに、文字だけがスッと入ってきた。
    見覚えのある文章のかたちと、改行の癖。
    ……私のブログでした。

    たぶん、断定できるほど長く見たわけじゃないのに、心臓だけが先に理解して、いきなり胸の奥が熱くなりました。嬉しい、とか、ありがたい、とか、そういう綺麗な感情じゃなくて、もっと変なやつ。


    「え、やばい、見られてる」っていう、逃げたい気持ちが先でした。
    扉が開くまでの数十秒がやたら長く感じて、エレベーターの小さな箱の中で、私は急に呼吸が下手になったみたいでした。

    誰にも言わなかった本音があります。


    その瞬間、私は「ありがとう」より先に、「どうしよう、恥ずかしい」を思ってしまったんです。


    今年一年、読者様に向けて文章を書いて、何度も「届いたらいいな」なんて思っていたくせに、いざ身近な場所で、現実として“読まれている”気配に触れたら、私はあっさり怯えました。


    しかも、変な話、相手が誰かわからないままのほうが楽だったのに、目の前に同じマンションの人がいて、私の言葉を読んでいるかもしれないと思ったら、急に自分の文章が“誰かの生活に紛れ込むもの”に変わってしまって、怖くなった。

    「誰かに読まれて嬉しい」と「誰かに読まれて怖い」が、同じ場所に住んでる感情だなんて、今日まであまり自覚していませんでした。

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    画面越しの“誰か”が、急に現実になるとき

    ブログって、ひとりで書いている時間が長いから、どうしても“画面の向こう側”がふわっとした存在になりやすいんですよね。アクセス数とか、滞在時間とか、数字は見えるのに、誰がどんな顔で読んでいるのかは見えなくて、だからこそ、勝手に都合よく想像できてしまう。


    「きっと似たようなことで悩んでる人だ」って思ったり、「たぶん今、疲れてるんだろうな」って寄り添ったつもりになったり、逆に「今日は誰も読んでないかも」っていじけたり。

    でも今日、ほんの一瞬、たぶん数行だけの出来事で、私は急に現実に引き戻されました。
    あのスマホ画面の白さが、妙に生々しかった。
    私が部屋で書いた文章が、廊下の冷たい空気の中で読まれていて、しかもそれが、私の知らない“日常の一部”として存在している。


    そのことが嬉しいはずなのに、同じくらい怖かった。

    正直、私は、読者様の存在に慣れたふりをしてたのかもしれません。


    慣れたふりというか、見えないからこそ、ちゃんと向き合わなくても成立してしまっていたというか。


    だからこそ今日、現実の誰かが読んでいる光景に触れた瞬間、私は「ありがとう」より先に「逃げたい」が出てしまった。情けないけど、たぶん、そういうところが私なんだと思います。

    優しい言葉を書きたいのに、優しくない夜もある

    海辺の女性

    ブログって、たぶん、書く側も読む側も、少しだけ“心の逃げ場所”にしてるところがあると思うんです。
    仕事のこと、将来のこと、人間関係のこと、ひとり暮らしの部屋に帰ってきて、電気をつけた瞬間にどっと押し寄せる疲れとか、誰にも言えない小さな焦りとか。


    そういうものを、直接誰かに相談するほどでもないけど、ひとりで抱えるにはちょっと重い、みたいな夜。

    だから私は、なるべく、読んだあとに息がしやすい文章を書きたいと思ってきました。


    でも同時に、私の中には「こんなこと書いたら嫌われるかな」とか、「ちゃんとしてないって思われるかな」とか、そういうビビりがずっといて、たぶん今年もそのビビりと一緒に文章を書いていました。
    今日のエレベーターでの怯えって、その延長線上なんだと思います。

    読む人がいるのは嬉しい。
    でも、読まれている現実を直視すると、私は少しだけ怖い。
    その矛盾を抱えたまま、今年も私は文章を書き続けてしまった。

    たぶん、読者様も似たような矛盾を抱えていませんか。
    「誰かと繋がりたい」のに、「近づきすぎるのが怖い」とか。
    「頑張りたい」のに、「頑張るのが怖い」とか。


    ……わかる、って思った人、きっといると思うんです。
    こういう感情って、正解がないのに、毎日の中で何度も出てくるから、地味に疲れるんですよね。

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    ありがとうの中に、少しだけ混ざっていた“違和感”

    エレベーターを降りて、ゴミ置き場に着いて、手袋の中で指先が冷えていくのを感じながら、私はずっと胸のあたりがざわざわしていました。


    相手に話しかけるわけでもなく、もちろん「私のブログ見てます?」なんて言えるわけもなく、私はただ、燃えるゴミの袋を結んで、いつもの場所に置いて、また部屋に戻った。


    それだけのことなのに、戻ってからしばらく、ブログのことを考え続けてしまいました。

    今年一年、読んでくださって、本当にありがとうございました。
    これは、間違いなく本音です。


    読者様がいなかったら、私はたぶん何度も書くのをやめていました。


    生活がしんどい日、仕事でぐったりした日、ひとり暮らしの部屋で「今日、誰とも喋ってないな」って気づいた日、そういう日の私を、文章を書くという行為がぎりぎり支えてくれたのは事実で、その支えが成立していたのは、読んでくれる人がどこかにいると信じられたからです。

    でも今日、私は気づいたんです。


    「ありがとう」と同じくらい、「見られるのが怖い」を抱えている自分に。
    そして、その怖さは、たぶん悪いものじゃなくて、むしろ“ちゃんと相手がいる”ことを理解し始めた証拠なのかもしれないって。

    今まで私は、読者様を大事にしたいと言いながら、どこかで“ぼんやりした存在”として扱ってしまっていたのかもしれません。


    それは、距離を保つための私なりの工夫でもあったけれど、同時に、向き合うことから逃げていた部分もあった。
    今日の出来事で、その違和感が少しだけ輪郭を持ちました。

    たぶん来年も、私はうまく書けない日があるし、気取ったことを書いては消して、情けない文章を残して、後から「何これ」って思う夜もあると思います。


    それでも、私は、読まれることの嬉しさと怖さの両方を持ったまま、もう少しだけ丁寧に文章を書いていきたい。
    “誰かがいる”という現実を、怖がりながらでも、ちゃんと受け取っていきたい。
    今年の終わりに、そんな小さな変化が自分の中に生まれました。

    読者様は、今年、どんな瞬間に「誰にも言えない本音」が浮かびましたか。
    その本音を、まだ胸の奥にしまったまま年を越しますか、それとも、どこかで少しだけ外に出してあげますか。

    今年も1年間ありがとうございました。。

    来年もよろしくお願いします。

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