今日は、美容そのものではなく、「褒められたあと、少しだけ他人にやさしくなれる自分に気づいてしまう感情」を主軸にしています。
なお、短い調べものとしては、褒め言葉は受け手が送り手の想像以上に前向きに受け取りやすく、また人とのつながりは若い世代の心身の調子にかなり深く関わることが示されています。
だからこそ、たった一言で見える世界の温度が少し変わる、という感覚にはそれなりの土台があるのだと思います。
肌を褒められた日は一日ちょっと優しい世界
今朝は、洗濯機の終わる音で目が覚めた。
カーテンの隙間から入ってくる光はもう冬のものじゃなくて、白いというより少し薄い金色で、部屋の中の生活感までやわらかく見せてくれるような朝だった。
床に脱ぎっぱなしの部屋着も、昨日コンビニで買ってそのまま置いていた水も、なぜか今日は「だらしなさ」より「暮らしてる証拠」に見えて、そういう日ってたまにあるなと思いながら、いつもより少しゆっくり支度をした。
別に、完璧な朝だったわけじゃない。
髪は微妙に跳ねていたし、電車に乗る直前に「あ、ゴミ出し忘れた」と思い出したし、スマホの通知欄には返していない連絡がいくつかたまっていて、そのどれもが少しだけ気が重い。
それでも、今日はなんとなく機嫌を損ねずに出かけられそうだな、くらいの静かな予感があった。
その予感に名前がついたのは、昼前、会社の給湯室みたいな狭い場所で、マグカップを洗っていたときだった。
同僚の女性が隣に来て、ほんの雑談の流れみたいな顔で、「今日なんか肌きれいだね」と言った。すごく大げさでもなく、わざとらしくもなく、あまりにも自然に言うものだから、一瞬、聞き間違いかと思ったくらいだった。
「え、ほんとですか、たぶん照明かもです」と、反射でそう返した。
たぶん、こういうときの私は昔から下手だ。真正面から受け取るのが気恥ずかしくて、すぐに冗談か偶然か環境のせいにしてしまう。うれしいくせに、うれしがるのが下手。
たぶん褒められ慣れていないというより、褒められたときに自分が少し救われてしまう感じを、見透かされるのが恥ずかしいのだと思う。
うれしいのに、すぐ信じきれない
誰にも言わなかった本音を言うと、あの一言を聞いた瞬間、いちばん先に浮かんだのは「今日の私は、ぎりぎり大丈夫なんだ」という安心だった。
きれいだと思われたことそのものより、寝不足と乾燥と気分の波で、ここ数日ずっと自分の顔を雑に扱っていた私が、「そんなに悪く見えていないらしい」と知れたことのほうが大きかった。
大人になると、しんどさって意外と顔に出すまいとする。
元気じゃない日もちゃんと出勤して、最低限の愛想を貼りつけて、なんでもない風に会話して、それで一日が終わる。
だからたまに、ふいに誰かのひと言で「ちゃんと人として見えていたんだ」とわかると、情けないくらいほっとする。
わかる……褒められた内容より、「今日の自分はそんなにひどくなかったのかも」と思える瞬間に救われること、ある。
でも同時に、少しだけ変な気持ちにもなった。
私はたった一言で、こんなに機嫌が持ち直すのか、と。
朝から抱えていた細かい面倒も、返していない連絡も、先の見えない将来のことも、何ひとつ解決していないのに、心の表面だけが急に整ってしまう。そのことが、ちょっと単純で、ちょっと悔しかった。
◆>>女性のリズムを整える葉酸サプリ【ベルタプレリズム】その日だけ、他人へのまなざしが変わる
けれど、午後になってもっと小さな変化に気づいた。
コンビニでレジを待っていたとき、前にいた人が小銭を落として、少し慌てた手つきで拾おうとしていた。
いつもの私なら、親切にしないわけじゃないけれど、たぶん「早く終わらないかな」と先に思ってしまう。急いでいる日は特にそうだ。心が乾いていると、他人の小さなつまずきにまで余白を渡せなくなる。
でも今日は、先に手が出た。
一円玉を拾って渡して、「大丈夫ですよ」と言った声も、自分で思っていたよりやわらかかった。
そのあと、会社に戻ってからも、後輩のちょっと要領の悪い質問に、珍しくいらつかなかった。
帰りの電車で肩がぶつかった人にも、必要以上にむっとしなかった。たぶん私はその日じゅう、少しだけ世界を敵視しないで済んでいた。
ここでやっと、今日の出来事の本体が見えた気がした。
肌を褒められたからうれしかった、では終わらなかったのだ。自分が少し肯定されたことで、他人に向ける視線までわずかにやわらいでいた。
優しくされたから優しくできた、というほどきれいな話ではない。もっと俗っぽくて、もっと現実的で、「自分の機嫌に少し余裕ができたから、そのぶん他人を邪魔に思わずに済んだ」みたいな変化だった。
なんだかそれが、やけに人間っぽいなと思った。
立派な思想で優しくなるんじゃなくて、たまたま自分の心が少し傷みにくい状態だったから、世界への当たりが弱くなる。そんな程度のやさしさでも、ないよりはずっといいのかもしれない。
褒め言葉より先に、私がほしかったもの
夜、鏡を見ながら思った。
今日ほしかったのは「肌がきれい」という評価そのものではなくて、「私はちゃんと整って見える」「くたびれているだけの人に見えていない」という確認だったのだと思う。
一人暮らしをしていると、誰にも見られない時間が長い。
自由で気楽な反面、自分の輪郭を他人の目で確かめる瞬間も少ない。だからたまに外の世界から返ってくる小さな感想が、自分の存在を思った以上にはっきりさせる。
それは少し危ういことでもある。
他人のひと言で元気になれるなら、逆にひと言で沈む日もあるから。だから「褒められなくても平気でいたい」と思う自分もいる。
けれど、その強さばかりを目指すと、今度は「たった一言で救われるやわらかさ」まで切り捨ててしまいそうで、それも違う気がした。
私はたぶん、もっと自立した大人でいたいと思いながら、案外こういうささいなことで持ち直してしまう。
その事実を恥ずかしいと思う日もあるけれど、今日はそれを、少しだけ許してみてもいいかもしれないと思った。
褒められたから調子に乗るんじゃなくて、褒められたことで世界への警戒心がほんの少しゆるむ。そういう日があるなら、その変化はたぶん、悪いものじゃない。
明日にはまた、電車でため息をつくかもしれないし、鏡を見て「全然だめ」と思うかもしれない。
それでも、今日の私は確かに、たった一言で少しだけ人に親切になれた。そういう単純さを笑いながら、でも少し大事にしたい。
あなたは最近、誰かの何気ないひと言で、世界の手触りが少し変わったこと、ありましたか。





