「いい匂い」が苦手だと言えない朝の電車で、私は小さく息を止めた

今朝は、カーテンの隙間から入ってくる光がやけに白くて、天気予報は晴れなのに、部屋の空気だけ少しだけ重たい気がしました。いつもならコーヒーを淹れて、湯気に顔を近づけて「よし、今日も回せそう」と自分に合図を出すのに、今日はその合図がうまく点灯しなくて、洗濯物の山を横目に「まあ…夕方でいいか」と、いつもより雑な自分を許すふりをしました。
外に出ると風が冷たくて、駅までの道のりで頬がピリッとする。冬の朝って、気合いを入れるための“痛み”が標準装備みたいだなあ、と、そんなことを考えながら改札を抜けました。
電車に乗って、ほどよく空いている車両の端っこに立った瞬間、ふわっと、甘い柔軟剤みたいな香りが流れてきました。たぶん、隣に立った人のコートかマフラーか、髪の香りなのかもしれない。ほんの数秒で「いい匂いだね」より先に、胸の奥がきゅっと縮んでしまって、私は反射的に息を浅くしました。
それ、誰にも言ってない本音なんですけど、私は“いい匂い”がときどき苦手です。体調が悪いわけでも、香りそのものが嫌いなわけでもなくて、ただ、逃げ場がない場所で強い香りに包まれると、頭の中が急に狭くなって、思考が止まる。自分の気分じゃない香りが、勝手に私の一日を決めてしまうみたいで、なんだか悔しくなる。
しかも困るのが、それを「苦手」と言うこと自体が、すごく感じが悪い人みたいに思えてしまうところ。たぶん私は、相手の“善意の香り”まで否定してしまう気がして、言えない。
「香りって、好き嫌いありますよね」って言い方だってあるのに、心の中では「近づかないで…」って思ってしまって、思ってしまう自分にさらに引いて、二重に疲れる。
こういう時、私はとても小さく、そして妙に忙しい人になります。顔は平静、脳内は大渋滞。目線をどこに置けばいいか、呼吸はどれくらい浅くすれば気づかれないか、降りる駅まであと何分か、窓の外に意識を逃がすには何を数えればいいか。ほんと、人生ってたまに「そんなことにリソース使う?」って場面がある。
逃げないために、逃げ道を作るという矛盾

その香りは、別に攻撃じゃない。相手は何も悪くない。そう分かっているからこそ、私の中の“嫌だ”は宙ぶらりんになります。誰にもぶつけられないのに、確かに存在する不快感。
私はスマホを取り出して、ニュースでも読めば気が紛れるかなと思ったけれど、画面の文字が全然頭に入ってこなくて、結局、ただスクロールするだけの指になりました。
それでも、次の駅で人が少し入れ替わった瞬間、香りの濃度がほんの少し薄くなって、私はやっと普通の呼吸に戻れた。たったそれだけのことなのに、心の中で「助かった…」と小さくガッツポーズをしてしまった自分がいて、なんとも言えない気持ちになりました。
私、こんなに“逃げ場”を必要としてるんだ。
電車って、身体は運んでくれるのに、心の置き場所は用意してくれないんだな、と、ちょっと意地悪なことを思う。いや、電車は悪くない。悪くないんだけど、私の弱さが、そこにくっきり映る。
「言えない」は優しさじゃなくて、ただの癖かもしれない
駅に着いてホームに降りた時、冷たい空気が肺に入ってきて、やっと頭が少しだけ広がりました。そこで浮かんだ、誰にも言わなかった本音はこれです。
「私、嫌なものを嫌だって言える人が羨ましい」
それが言えたら、世界はもう少し生きやすいのに、私は“角が立たない正解”ばかり探して、結局どこにも着地できないことがある。
でも、同時に思ったんです。私が言えないのは、優しさというより、ただの癖かもしれないって。
“嫌だ”を口に出すと、相手が傷つくかもしれない。そう想像してしまうのは、たぶん私の中の小さな警報が、過剰に鳴っているだけ。
本当は「ちょっと気分が悪くて…」と一言言って距離を取るだけでもいいのに、私はそれすら“申し訳ない”と感じてしまう。申し訳ないって、誰に? 何に? って聞かれたら、うまく答えられないのに。
あの瞬間、息を止めた私の体は、ちゃんと自分を守ろうとしていました。なのに頭だけが「我慢しなさい」「大人でいなさい」と言って、体のSOSを無視しようとする。
このズレが、最近やたら増えている気がします。疲れているのか、季節のせいか、それとも単に年齢のせいで“無理が効かなくなってきた”のか。どれも当てはまる気がして、どれも違う気もして、結局また答えが出ない。
私が今日選んだ小さな行動は「離れる理由」を自分に許すこと

会社に着く前、コンビニで温かいお茶を買いました。別にお茶が飲みたかったわけじゃなくて、ただ、紙コップを両手で包むあの感じが欲しかった。手のひらがじんわり温まると、さっきの電車の窮屈さが少しだけほどける気がして。
そして私は、今日の自分に、ひとつだけ許可を出しました。
「苦手なものから離れるのに、立派な理由はいらない」って。
香りに限らず、会話のテンポとか、店内の音量とか、誰かの視線とか、SNSの空気とか。私たちは毎日、目に見えない刺激の中で暮らしていて、平気な顔をしながら、内側で小さく擦り切れている。
だから、離れる。席を変える。窓を開ける。イヤホンをする。予定を一つ減らす。
それって逃げじゃなくて、ただの生活の調整なんだと思いたい。
わかってる、そう言いながら私はまだ「逃げた」と思ってしまう日もあるし、「こんなことで?」と自分にツッコミを入れてしまう日もある。だけど今日みたいに、息を止めてまで耐えるくらいなら、もう少しだけ自分の体の言うことを聞いてもいいんじゃないか、と、そんな方向に針を傾けてみたくなりました。
たぶんこれ、同じように感じたことがある人、いると思うんです。
「いい匂い」って言われるものが、しんどい日もある。みんなが平気でも、自分だけが敏感に反応してしまう瞬間がある。そういう時、変な罪悪感がついてきて、余計につらい。わかる…って、誰かに言ってもらえたら、少し楽なのにね。
私は今日、電車の中でできなかった分、帰り道はひとつだけ実験をしようと思っています。混んでいたら、無理に同じ車両に乗らない。空いているところを探して、少し遠回りでもいいから、呼吸ができる場所に立つ。
“私の一日”の主導権を、香りや空気に奪われないために。
昼休み、社内の給湯室でお湯を沸かしていると、同僚がふいに「今日さ、電車めっちゃ混んでた?」と聞いてきました。私は反射で「まあまあかな」と笑って返したけれど、本当は“混み具合”じゃなくて“空気の濃度”の話をしたかった。
「隣の人の香りが強くて、ちょっとしんどかったんだよね」って言えたら、たぶんそれだけで、午前中の私の中に溜まったものが少し流れた気がする。でも口から出たのは、当たり障りのない天気の話と、コンビニのお茶が熱すぎて舌をやけどした話。
こういう時の私って、話したいことがあるのに、違う話題で煙幕を張るのが上手い。上手いというか、染みついてる。
午後の会議で資料をめくりながら、ふと「私、いつも“我慢できる側”に立ってしまうな」と思いました。我慢できる側って、格好いい響きに聞こえるけど、実際はただ“慣れてしまった側”だったりする。
誰かのペースに合わせる。笑うタイミングをずらさない。空気を乱さない。そうやって上手に暮らしているつもりでも、帰宅して玄関の鍵を回した瞬間、どっと疲れが来て「今日、何と戦ってたんだっけ」と思う夜がある。
たぶん私は、戦っている相手をちゃんと見ないまま、ずっと構えている。だから余計に疲れる。
それにしても、香りって不思議です。視界に入らないのに、記憶を一瞬で引っ張り出してくる。昔、友達の家に泊まった朝の柔軟剤の匂いとか、元カレの部屋の消臭スプレーの匂いとか、何でもないはずの匂いが、勝手に感情を連れてくる。
今日はそれが“苦手”の方に振れただけなのに、私はまるで自分が弱い人みたいに感じてしまった。
でも弱さって、隠せば隠すほど大きくなる気がします。見ないようにしているうちに、どんどん面積を取っていく。部屋の隅に置いた段ボールが、いつの間にか通路をふさいでるみたいに。
帰り道、私は駅のホームで少しだけ立ち位置を変えました。ホームの端っこの、風が抜けるところ。たった一歩分なのに、体の中の緊張がほどけるのが分かった。
その一歩を踏み出すまでに、私は朝の電車で息を止めるくらいの“消耗”をしていたんだと思うと、ちょっと笑えて、ちょっと泣けました。
笑えるのは、自分の扱いが下手すぎるから。泣けるのは、それでも毎日なんとかやっているから。
私たちはたぶん、みんな同じように、誰にも言わない小さな不快を抱えています。
大声で文句を言うほどじゃない。誰かを悪者にしたいわけでもない。ただ、今日はそれがしんどかった。
その「ただ」を、ちゃんと扱ってあげられる人が、大人なんだろうなと、最近思います。私はまだ練習中で、今日も相変わらず下手だったけれど、少なくとも“感じたこと”を無かったことにしないで、こうして文字にしている。
それだけでも、昨日の私よりは少しだけマシ、くらいに思っておきます。
ちなみに私は、今日の帰宅後、部屋の換気を少し長めにしました。外の冷たい空気が入ってくるだけで「まだ自分の呼吸がある」と思えたから。
最後に、ここまで読んでくれたあなたに聞きたいです。
あなたにも、「嫌だ」とまでは言えないけど、息を止めたくなる瞬間って、ありますか。
それを、今日のあなたは、どうやってやり過ごしていますか。





