痩せたい理由が数字じゃなくなった夜、自分を好きでいたいだけの気持ちに気づいた話

夜のコンビニの前で、いちばん寒い空気を吸った。駅から家までの帰り道、道端の街灯がいつもより白く見えて、吐く息が思ったより長く伸びた。手袋を忘れた指先が、袋に入ったアイスコーヒーの冷たさでじんわり痛い。これ、冬の自業自得ってやつだ。
今日はうまくいかなかった。大事件じゃない。誰かに怒られたわけでも、泣くほどのことでもない。ただ、積み重なっていく小さな「できなかった」が、ふわっと自分の輪郭を曇らせる日ってある。夕方の会議で言いたかったことが言えなくて、相槌だけ上手になって帰ってきた。帰り道、電車の窓に映った自分が、なんだか誰かの真似みたいに見えた。
家に着く前に、ふと「痩せたい」って思った。唐突に。しかも理由が、いつもの「健康のため」じゃないし、「見た目が大事だから」でもない。今日の私は、もっと雑で、もっと弱い理由だった。「自分を好きでいたい」それだけ。
好きでいたいって、なんだろう。そんなこと、誰に向かって言ってるんだろう。勝手に理想の自分を作って、勝手に近づけないと落ち込んで、勝手にやさしくなりたくなる。全部ひとりで完結してて、ちょっと恥ずかしい。だけど、たぶんこれが本音だった。
玄関で靴を脱いだ瞬間、部屋の空気がぬるくて、外の寒さが嘘みたいに消えた。コートを脱いで、鏡の前に立つ。髪の分け目が崩れていて、頬が少し乾いている。目の下の影がいつもより濃い。体型とかより先に、疲れが見える。そういうとき、痩せたいって気持ちは、体重の話じゃなくなる。たぶん「今日の私、大丈夫?」って確認したいだけ。
冷蔵庫を開けると、昨日買った作り置きと、半端な野菜と、プリンが一個。プリンは、疲れた日のために買ったはずなのに、今日は触りたくない。嬉しいものを嬉しいと思えないときって、妙に「自分が嫌い」に近い匂いがする。だから私は、プリンじゃなく、炭酸水を出した。こういう選択に「偉い」って言いたい自分がいることも、なんとなく気づいている。
痩せたい理由って、いつも同じ顔をしていない。SNSで見かける「ダイエット成功の秘訣」は、たいてい努力と根性とルーティンでできている。でも、私の痩せたいは、もっと湿度が高い。泣きたくないから、食べる量を減らす。落ち込みたくないから、夜更かしをやめる。明日の自分に、少しだけやさしい顔で会いたいから、階段を使う。そういう、ほんの少しの「自分への手当て」みたいなもの。
でもね、ここで厄介なのが、自分を好きでいたいと思う瞬間ほど、自分のことを好きじゃないという事実が前提になっているところだ。好きでいたい、は、今好きじゃない、と同義になってしまう。言葉の裏側が、私を刺す。だから私は、痩せたい理由を語るとき、どこかで照れ隠しをする。「健康のため」とか「服が似合うから」とか、ちゃんとした理由に寄せる。そう言っておけば、誰かに突っ込まれないし、自分にも説明がつく。
だけど今日は、ちゃんとした理由が似合わなかった。今日の私は、仕事帰りの電車で、隣の人の香水が少し強くて、無意識に息を浅くした。マスクの中が息苦しくて、前髪が額に張りついて、降りる駅を間違えそうになった。そんな小さな不快が積もって、心の余裕が薄くなっていく。余裕が薄くなると、自分に対する優しさも薄くなる。そこに追い打ちみたいに、ショーウィンドウに映る自分が写る。ああ、今日の私、ちょっと雑だなって思う。雑な自分を見た瞬間、痩せたいって思う。まるで「整えたい」が全部そこに集約されるみたいに。
痩せたい理由が「自分を好きでいたい」だけの日

私が痩せたいと思うのは、体重計の数字が増えた日とは限らない。むしろ、数字が変わらない日にも来る。誰にも褒められなかった日。頑張ったつもりなのに空回りした日。誰かの何気ない一言が、胸の奥でずっと引っかかっている日。痩せたいは、私の「機嫌」の言い換えなのかもしれない。
今日、会社の給湯室で、同僚が何気なく言った。「最近、顔がむくんでない?」たぶん、悪意はない。むしろ親切のつもり。私も笑って返したし、その場は流れた。でも、その言葉が、家に帰るまでずっとポケットの中で鳴っているみたいだった。ムズムズする。重いわけじゃないのに、気になる。
むくみって、寝不足とか塩分とか、いろいろ原因はある。だから理屈ではわかる。わかるのに、心は別の反応をする。「あ、私って今、手入れされてない感じなんだ」って、勝手に翻訳してしまう。手入れされてない、という言い方がもう、すでに自分に厳しいのに。私の脳内辞書は、ちょっと意地悪だ。
それで、痩せたい。いや、むくみなら水分とかストレッチとか、そういう話のはずなのに。なぜか私は、痩せたいに飛ぶ。痩せたら、むくみも消える気がする。痩せたら、何も言われなくなる気がする。痩せたら、今日の自分を許せる気がする。全部、気がする、でしかないのに。
「自分を好きでいたい」って、もっとふんわりしている。今日の私が好きでいられたら、むくみの一言くらい、笑い飛ばせたかもしれない。言い返すんじゃなくて、気にしないでいられたかもしれない。つまり痩せたいは、相手への反抗じゃなくて、私の内側の防衛だ。外の刺激で崩れたバランスを、体に手を入れることで戻そうとする。そう考えると、痩せたいは、心の応急処置みたいに見える。
ただ、応急処置は長く続かない。炭酸水を飲んだところで、心の引っかかりはすぐには取れない。むしろ、後から空腹が来て、余計にイライラする日もある。そういう日は、自分を好きでいたい気持ちが、逆に自分を責める刃になる。「ほら、また続かなかった」「やっぱり意志が弱い」って。好きでいたいは、時々、厳しさとくっついている。
昔、ダイエットがうまくいったときがある。食事を記録して、毎日歩いて、体重が落ちていくのが楽しかった。結果が出ると、自己肯定感が上がる。そういう成功体験があるから、私は「痩せる=自分を好きになれる」という式を信じてしまう。だけど、その式はたぶん、条件付きだ。うまくいっているときだけ成立する。うまくいかない日は、式の逆側が顔を出す。「痩せられない=自分を好きになれない」みたいに。
今日の私は、その逆側の入口に立っていた気がする。だから、痩せたい理由を、もう少し丁寧に扱いたい。自分を好きでいたいなら、まず、好きじゃない自分を無かったことにしないほうがいいのかもしれない。むくんでると言われてムカッとした自分も、言い返せなくて悔しかった自分も、帰り道で息が浅くなった自分も、全部「今日の私」だ。そこを飛ばして、体重の数字だけをいじっても、根っこは残る。
だから私は、炭酸水を飲みながら、変なことを考えた。「痩せる」という行為は、私にとって、掃除みたいだなって。部屋が散らかると、心も散らかる。心が散らかると、部屋も散らかる。だから掃除をする。掃除すると、少しだけ呼吸が楽になる。痩せたいは、その延長にある。体を整えることで、頭の中の散らかりも片付く気がする。でも掃除って、完璧にしても、また散らかる。永遠に続く。痩せたいも、たぶんそう。完璧な体はなくて、日々の揺れを戻す作業があるだけ。
今日の「うまくいかなかった」を体に押し付けたくなる

うまくいかなかった日って、心の中の「余白」がなくなる。余白がなくなると、何かを入れたくなるか、何かを削りたくなる。今日の私は削りたかった。余計なものを落とせば、明日が軽くなる気がした。
でも「余計なもの」って、本当は体脂肪じゃなくて、今日の気まずさとか、悔しさとか、言えなかった言葉とか、そういうものなのに。脂肪のほうが扱いやすいから、そこに矛先が向く。測れるし、頑張った感が出るし、結果が見えるかもしれない。心の痛みは測れない。だから私は、測れるほうに回り道をする。
それでも、回り道って、悪いことだけじゃない気もする。心をそのまま撫でるのが難しいから、体を撫でに行く。ストレッチをする、湯船に浸かる、少し早く寝る。そういうことまで含めて「痩せたい」と言っている日がある。たぶん今日は、その日だった。
夕飯を軽く済ませたあと、部屋の隅に置いてあったヨガマットを広げた。最後に使ったの、いつだっけ。埃っぽい匂いがした。ストレッチを始めると、太ももが固くて、息が詰まる。体が固いと、心も固い。そんな気がして、ちょっと笑ってしまった。こんなところで哲学しなくていいのに、今日の私は、何でも意味づけしたくなる。
ストレッチをしながら、ふと、痩せた未来の自分を想像した。鏡の前で、少しだけ顎がシャープになって、ウエストのラインがすっきりして、好きな服がするっと着られる。写真を撮っても、顔を隠したくならない。たぶんその未来は、嬉しい。でも、それだけじゃない。その未来の私は、今日の「うまくいかなかった」も、ちゃんと引きずっているはずだ。体が変わっても、心の揺れは残る。むしろ、別のことで揺れる。だから私は、未来に期待しすぎるのをやめたくなった。
痩せたい理由が「自分を好きでいたい」だけの日は、たぶん、自分に優しくなりたい日と同じだ。優しくなりたいのに、優しさの出し方が下手で、数値や見た目に寄せてしまう日。そう考えると、痩せたい気持ちは、責める材料ではなくて、サインなのかもしれない。「今、ちょっと疲れてるよ」「今、ちょっと自分の味方が欲しいよ」って。
じゃあ、どうしたらいい?…って、ここで答えを出すのは、今日の私の気分じゃない。正解を出したら、また次の「できなかった」が増える気がする。だから私は、今日の痩せたいを、ひとつの天気みたいに扱うことにした。晴れの日もあれば、曇りの日もある。痩せたい理由も、日によって違う。自分を好きでいたいだけの日は、たぶん曇り。曇りの日は、洗濯物が乾かない。だけど、曇りが悪いわけじゃない。曇りの空気の中でしか気づけないこともある。
湯船にお湯をためて、肩まで浸かった。水面が揺れて、天井の光がゆらゆら反射する。体の重さが少しだけ抜ける。こういう瞬間に、私は「痩せたい」を忘れる。忘れるというか、痩せたいが、別の形に変わる。「整えたい」「休みたい」「明日を怖がりたくない」みたいに。痩せたいは、入口で、奥に本当の願いがある。
それでも、明日になったらまた体重計に乗って、数字に一喜一憂するかもしれない。むくみって言われたことも、また思い出すかもしれない。好きな服を見て、似合うかなって不安になるかもしれない。そのたびに、痩せたいが顔を出す。私は、その繰り返しの中で生きている。
今日の私ができるのは、たぶん「自分を好きでいたい」という願いを、否定しないことだけだ。自分を好きでいたいって、わがままみたいで、でも生きるための最低限みたいでもある。好きでいられない日があるから、好きでいたいと願う。願うって、弱さだけじゃなくて、希望でもある。
歯を磨いて、電気を消して、布団に入った。スマホを見たい気持ちがうずうずするけど、今日はやめておく。やめておく、って決められたことが、ほんの少し嬉しい。痩せたい理由が「自分を好きでいたい」だけの日は、何かを増やすより、何かを減らすことで安心したくなる。でも、本当に減らしたいのは、体重じゃなくて、今日の心の重さなのかもしれない。
明日、もし少しだけ元気だったら、プリンを食べよう。食べてもいいし、食べなくてもいい。その選択で、自分のことを嫌いにならないようにしたい。…できるかどうかはわからないけど。
眠る直前、外の車の音が遠くで波みたいに聞こえた。今日の曇りが、明日どうなるかはわからない。ただ、曇りの日の私は、私なりに生きていた。その事実だけ、布団の中でそっと握っておく。





