在宅ワークで崩れた姿勢を整えるオンラインパーソナルトレーニング、自宅で始める25分習慣

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    「ママ向け」って書かれてる場所に、私はいつも立ち尽くす

    ウエストを測る女性

    今朝は、窓の外がやけに白くて、たぶん曇りなのに「今日は天気がいい」みたいな顔をしてる空でした。
    洗濯物を干すほどの気合いはないけど、部屋の空気を入れ替えたくて、カーテンだけ開けて、ぬるいコーヒーをすすりながらスマホを眺めていました。

    そのとき、親指が勝手に広告を開いて、目に入ってきた言葉が「mamaトレ」。
    オンラインパーソナルトレーニング、スマホがあればOK、レッスンは25分から、月額6,600円〜。しかも初回限定で体験が無料って書いてある。

    ……なんていうか、機能としてはめちゃくちゃ合理的なのに、タイトルの「mama」の四文字が、私の気持ちだけを置き去りにしていく感じがしました。
    「自分磨き」とか「健康」とかそういう話じゃなくて、もっとシンプルに、“私の居場所じゃないところに、私はずっと丁寧に案内されてしまう”みたいな、あの小さな違和感。

    今日の小さな出来事は、ここからです。
    私はなぜか、そのページを閉じられませんでした。


    いつもなら「はいはい、私には関係ない」で終わるのに

    仕事の連絡が入って、机に向かって、気づけば昼。
    肩が固くて、首が短くなって、呼吸まで浅くなっているのが自分でわかるのに、手だけは働いていて、こういうとき人間って便利だなと思います。便利なんだけど、嫌いです。

    昼過ぎ、コンビニに行くためにエレベーターに乗ったら、鏡に映った自分が、びっくりするほど“折れ曲がって”いました。
    猫背とか姿勢とか、そんな可愛い言葉じゃなくて、生活の疲れがそのまま骨格になってる、みたいな。
    誰もいないのに、急に背筋を伸ばしてみる自分が恥ずかしくて、結局すぐ戻る。こういうところ、ほんと小物。

    その瞬間、さっきの「mamaトレ」が頭に戻ってきました。
    産後の体の悩みにマンツーマンで向き合う、骨盤調整や姿勢の改善にも対応、って。


    私、産後でもママでもないのに、姿勢の言葉だけがやけに刺さって、ちょっと悔しかった。

    ここで、誰にも言わなかった本音。
    “ママ”って言葉が、いい意味でも悪い意味でも、私の人生から遠いところにあるのが、今日はやけに寂しい。
    婚活の焦りとは違う。未来の不安とも違う。
    ただ、街の看板も、ネットの広告も、誰かの生活をちゃんと支える仕組みが増えていくほど、「じゃあ私は何に支えられてるんだろう」って、薄暗い疑問だけが残る。

    わかる…って、こういうときに言いたくなるんだと思う。
    誰かのための便利さを見て、取り残された気分になるやつ。


    「オンラインで誰かに見られる」ことの、こわさと救い

    ヨガをする女性たち

    私は勢いで、mamaトレの体験ページをもう一回開きました。
    スマホがあれば自宅で受けられる、経験豊富なトレーナーがマンツーマン、初心者でも安心、レッスンは25分から。


    そして、当日キャンセルや振替にも対応してくれるらしい。急な予定変更がある人でも続けやすい仕組み、って書いてあって、そこは素直に「強い」と思いました。

    ただ、私はここで一回、指が止まったんです。
    マンツーマン、って、つまり“見られる”ってことじゃないですか。
    私のぐちゃぐちゃの部屋とか、部屋着とか、体のかたさとか、言葉にできない疲れとか、そういうの全部が画面越しに伝わってしまう気がして。

    たぶん私は、誰かに手助けされることより、**「ちゃんとしてない自分を見られること」**のほうが怖い。
    一人暮らしって気楽だし、自由だし、誰にも迷惑かけない最強の形、みたいに言われるけど、たまにこういう「見られなさ」に慣れすぎて、誰かの優しさの入口で固まる。

    でも、だからこそ、今日の私は少しだけ変でした。
    変、というより、疲れてたのかもしれない。
    “このまま誰にも気づかれないまま、姿勢まで折れていくのかな”って、変な想像をしてしまって。

    mamaトレの特徴のところに、「トレーナーは子育て中のパパトレーナー」って書いてあって、そこも意外でした。


    勝手な偏見だけど、子育て中の人って、たぶん生活のリアルに強い。理想論より、今日を回すための工夫に詳しい。
    そういう人に見られるなら、私の“ちゃんとしてなさ”も、ちょっとだけマシに扱ってもらえる気がした。


    「ママじゃない私」が申し込むときに、胸の奥が小さく鳴った

    夜、湯船に浸かって、スマホを手に持ったまま、またページを開いてしまいました。
    体験は通常3,300円だけど初回限定で無料、しかも体験でもカウンセリングだけじゃなく姿勢チェックや相談ができる、と。
    ※結果には個人差があります、って注意書きまでちゃんとある。

    ここで私がした「小さな行動」は、申し込みボタンを押したこと、ではありません。
    正確に言うと、申し込みの一歩手前まで行って、そこで一回、画面を暗くして、スマホを伏せました。

    そのときの本音が、いちばんダサい。
    **“ママじゃないのに、申し込んだら変かな”**って思った。
    誰に責められるわけでもないのに、勝手に自分で自分を門前払いしてる。

    でも次の瞬間、もっと嫌な本音も浮かびました。
    “ママ向けのサービスにすら、私は遠慮してしまうんだ”って。
    遠慮って、相手のためのようで、たいてい自分を守るための言い訳で、守った結果、何も得られないやつ。

    結局その夜は、申し込みませんでした。
    「じゃあ何の話なんだ」って感じなんだけど、今日はそこが主題です。
    体を鍛える話でも、痩せる話でもなくて、もっと手前の、**“自分がどこに参加していいかわからない”**っていう、生活の端っこに落ちてる感情の話。


    今日気づいた、ささやかな変化はこれです。
    私はたぶん、「何かを始めること」より、「始めていいと自分に許可を出すこと」に時間がかかるタイプで、しかもその許可が遅れるほど、姿勢も呼吸も小さくなる。

    mamaトレが良いかどうかは、正直、やってみないとわからない。
    でも、オンラインで、25分から、当日キャンセルにも対応して、忙しい人の現実を前提にしてくれる仕組みがあること自体は、私は今日ちょっと救われました。


    “生活が整ってからじゃなくて、整ってない生活でも来ていい”って言われた気がしたから。

    最後に、余韻だけ置いて終わります。
    「ママ」じゃない私が、あのページを閉じられなかったのは、運動不足のせいじゃなくて――たぶん、誰かに見守られる入口を、まだ諦めたくなかったからかもしれない。
    あなたは最近、何かを始める前に「参加していいかどうか」で立ち止まったこと、ありませんか。


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