自動ソープディスペンサーと、誰にも見せない“触れたくない日”

今朝は、カーテンを開けた瞬間の光がやけに白くて、冬の終わりなのに空気だけが先に春へ行ってしまったみたいな、少し置いていかれる感じがした。
目覚ましを止めたあともしばらくベッドの上で動けなくて、スマホを握ったまま、意味もなく通知を更新して、誰からも連絡が来ていないことを確認して、なぜか安心する。誰にも話しかけられたくない日ってある。理由はないのに、触れられたくない日。
キッチンに立って、水を飲もうとして、いつものように手を洗おうとしたとき、自動ソープディスペンサーがすっと反応して、無音で泡を出した。その静かさが妙に優しくて、思わず手を止めた。
誰にも触られないのに、ちゃんと反応してくれるものが家にあるって、少し不思議な気持ちになる。
触れられたくない日の、台所
今日は仕事前から人と話す気力がなかった。
特別嫌なことがあったわけじゃない。ただ、昨日まで普通にできていた“人としてのやり取り”が、今日は少しだけ遠い。
自動ソープディスペンサーを買ったのは衛生のためとか、便利だからとか、そういう理由だったはずなのに、今朝はそれがまったく違う意味に見えた。ポンプを押さなくていい。物理的に触れなくていい。自分の力を使わなくても、一定量の泡が静かに出てくる。
その一定さが、少し救いだった。
人と話すときって、相手の機嫌とか、自分の言葉の温度とか、いろんなことを無意識に調整している。今日はその調整ができる気がしなかった。だから余計に、機械の“変わらなさ”が心地よかった。
わかる…たまに、人間より物のほうが安心できる日がある。
泡を手に広げながら、そんなことを思っていた。
無音のやさしさに気づいた瞬間
自動ソープディスペンサーって、想像以上に静かだ。
モーター音もほとんどしないし、泡が落ちる音も小さい。気をつけないと、出たことにすら気づかないくらい。
その静けさが、今朝はやけにありがたかった。
誰かが「大丈夫?」って声をかけてくれるやさしさより、何も言わずに一定の距離を保ってくれる存在のほうが、今日はありがたい。そう思った瞬間、自分でも少し笑ってしまった。人間関係に疲れている自覚はあるけど、ここまでとは思っていなかった。
でも、これって別に大げさなことじゃない。
誰かを嫌いになったわけでも、孤独を選びたいわけでもない。ただ、今日は“触れられたくない日”。それだけ。
泡を流しながら、手の温度が戻ってくる感覚をぼんやり見ていた。自動で出てくる泡は、私の気分に関係なく、毎回同じ量で、同じ質感で、同じ速度で落ちる。その一定さは、ちょっと羨ましい。
人間は毎日同じじゃいられない。
同じ顔で出勤しても、内側は全然違う。
笑える日と、笑うのに時間がかかる日がある。
触れない選択をしている自分
出勤前、玄関で靴を履きながら、ふと気づいた。
今日は誰とも必要以上に話さないように、無意識に計画している自分がいる。
エレベーターで住人と一緒にならないように時間をずらしたり、コンビニではセルフレジを選んだり、会社でも雑談に入らないようにイヤホンをつけたり。全部、小さな回避。でも確かに“触れない選択”を積み重ねている。
それを悪いことだと思わなかったのが、少し意外だった。
前なら「社交的でいなきゃ」とか「感じ悪く思われたらどうしよう」とか、余計な心配が先に立ったはずなのに、今日はただ静かに「今日はこれでいい」と思えた。
朝の台所で見た自動ソープディスペンサーの動きが、妙に頭に残っている。必要なときだけ反応して、余計な動きはしない。触れられなくても機能する。
それで十分な日がある。
今日の私は、たぶんそのモードなんだと思う。
小さな変化に名前をつけるなら
帰宅して、また手を洗うとき、朝と同じように泡が落ちた。
一日外に出て、たくさんの音と視線と会話に触れてきたはずなのに、家の中は相変わらず静かで、自動ソープディスペンサーも朝と同じ顔をしている。
その変わらなさに、少しだけ安心した。
私は今日、人との距離を多めに取った。
でもそれで、誰かを傷つけた感じはしない。むしろ、自分をすり減らさずに一日を終えられた気がする。
これを成長と呼ぶほど立派なものじゃない。ただ、“触れない日を許した”だけの話。でも、今までの私は、こういう日を無理やり押し込めて、いつも通り振る舞おうとして疲れていた気がする。
触れないことも選択肢に入れていい。
自動で出てくる泡みたいに、一定の距離を保ちながら生活する日があってもいい。誰にも気づかれなくていい、小さな調整。
それに名前をつけるなら、“静かな自己防衛”かもしれない。
余韻のまま終わる夜
夜、歯を磨いたあと、もう一度手を洗った。
必要ないのに、なんとなく泡を出してみたかった。
静かに落ちる泡を見ていると、今日一日、自分が触れなかったものたちを思い出す。言わなかった言葉、入らなかった会話、選ばなかった席。どれも小さな選択なのに、確かに私を守っていた。
毎日人に触れ続けるのって、思っているより体力がいるのかもしれない。
だから、ときどきは触れない日が必要なんじゃないか。
この静かな泡みたいに、誰にも説明しない休み方を、私はこれからも選んでいいんだろうか。
それとも、また明日は、普通に触れに行ける日なんだろうか。





