先のことを考えるほど、今日の自分の雑さが目につく夜

帰りの電車で座れなかった日は、いつもよりスマホを見る時間が長くなる。
窓にぼんやり映る自分の顔を見ないように、ニュースでもなく、誰かの近況でもなく、ただ指を動かして画面を流しているだけの時間。車内はあたたかいのに、ドアが開くたびにまだ少し冷たい空気が足元に入りこんできて、コートの裾がわずかに揺れた。
最寄り駅に着くころには、肩のあたりだけ変にこわばっていて、家に帰って玄関の小さな灯りをつけたとき、いつものワンルームが少しだけ散らかって見えた。脱いだニットを椅子の背にかけたままにしていたこととか、洗いきれなかったマグカップがシンクに残っていることとか、そういう細かいものが、今日は妙に目についた。
ちゃんとしたい、と思う日ほど、生活の端のほうに残っている“できていないこと”が気になる。
それは掃除とか洗濯だけじゃなくて、もっと名前のつけにくいことまで含めて。
将来のこと。
体のこと。
今の自分に足りていないかもしれないもの。
まだ先の話に見せかけて、本当は「いつか」では済ませにくいこと。
そういう話って、重たい話題にしたくないから、普段はなるべく軽く扱う。
友達と会えば仕事の愚痴や恋愛の話にまぎれるし、親と話せば「元気でやってるよ」で終わらせる。
でも、部屋にひとりで戻って、冷蔵庫の低い音だけが続く夜には、うまく後回しにしていた気持ちが、すこしだけ前に出てくる。
最近見かけた「サズカルONE」という妊活サプリは、日本妊活協会監修をうたっていて、妊活に着目した商品として案内されていた。公式サイトでは、レモン果皮由来の天然葉酸をはじめ、デュナリエラ、イシクラゲ、野菜・フルーツエキス、ライスマグネシウムなどを含むと案内されていて、男性も一緒に摂ることを想定したFAQも出ていた。1日2〜3粒が目安とも書かれている。
こういう商品を見ると、私は成分表そのものより先に、名前や言葉のほうに引っかかる。
「妊活」よりも、「一緒に歩む」のほう。
頑張るとか、急ぐとか、結果を出すとかじゃなくて、歩む。
そのやわらかい言い方が、なぜか今日の自分には少しだけ沁みた。
夕飯をあたためるあいだ、立ったまま見た小さな広告
今日あった小さな出来事といえば、本当にそれくらいだった。
スーパーで買ってきたお惣菜を電子レンジに入れて、残り時間を待つあいだ、なんとなくスマホを見ていたときに、そのページを開いた。
たぶん、いつもなら流していたと思う。
妊活サプリ、という言葉だけで、自分とはまだ距離のあるものみたいに感じる日もあるし、逆に距離がなさすぎて見たくない日もある。
今日はそのどちらでもなくて、ただ、レンジの回る音を聞きながら、立ったまま数分だけ読み進めた。
キッチンの白い照明は現実的すぎて、気持ちをおしゃれにしてくれない。
お皿を出すのも面倒で、パックのまま食べようか少し迷っていた。
シンクの端には朝使ったスプーン。
窓の外はもう真っ暗で、向かいの建物の廊下灯だけが見えていた。
そんな生活感の真ん中で、未来のことに関係するものを見ると、ちょっとだけ居心地が悪い。
もっと余裕のある部屋で、ハーブティーでも飲みながら、そういう大事な情報に向き合う人もいるんだろうなと思う。
私はコンビニの袋をまだ床に置いたまま、冷えた手でスマホを持っていた。
わかる、と思う人もいるかもしれない。
先のことをちゃんと考えたいのに、そのときの自分は全然“ちゃんとしている感じ”じゃない、あの小さなみじめさ。
大事なことほど、もっと整った自分のときに考えたいのに、そういうことに限って、疲れた平日の夜にふいに目の前へ来る。
しかも、妊活みたいな話題は、誰かと比べたくなくても勝手に比べるスイッチが入りやすい。
SNSで見かける幸せそうな報告とか、ライフステージの進み方とか、そういうものに直接傷ついているわけじゃないつもりでも、心の表面に小さく引っかく感じだけ残る日がある。
今日の小さな出来事は、広告を見たことそれ自体よりも、見たあとに、すぐ画面を閉じなかったことだったのかもしれない。
私は少しだけ、その言葉を見ていた。
成分とか価格とか以前に、「いまの自分は、こういう話を前より無関係なものとしては見られなくなっているんだな」と、静かに思った。
誰にも言っていない本音は、焦りより先に“置いていかれたくなさ”だった
こういうとき、本音をきれいに言い換えるのは簡単だと思う。
将来に向き合いたいとか、自分の体を大切にしたいとか、今できる準備をしたいとか。
どれもたぶん本当だし、間違っていない。
でも、誰にも言っていない本音は、もっと少しだけ濁っている。
私が時々しんどくなるのは、「母親になりたい」という気持ちだけが強いからじゃない。
それよりも、まわりの時間が静かに進んでいく中で、自分だけが何も決めないまま立ち止まっている気がすることのほうが、正直つらい。
本当は、そこをあまり認めたくない。
だってそれは、命とか家族とか、そういう大切な話を、自分の見栄や不安と混ぜてしまっている感じがするから。
でも、完全に切り分けられるほど、私は立派でもない。
“ちゃんと考えている人”に見られたい気持ちもある。
“何もしていない人”にはなりたくない気持ちもある。
まだ決めきれないのに、何も知らないままではいたくない。
その半端さが、いちばん人に言いにくい。
しかも厄介なのは、こういう気持ちは表面に出すとすぐに整理されてしまうことだ。
「焦らなくていいよ」
「タイミングだよ」
「考えすぎないほうがいいよ」
たぶん全部やさしさだし、たぶん全部正しい。
でも、正しい言葉で撫でられるほど、余計に自分の気持ちの形が見えなくなる日もある。
私はたぶん、妊活という言葉そのものに緊張していたんじゃなくて、“本気で考える入口”に立つ感じに身構えていたんだと思う。
入口に立っただけなのに、急に背筋が伸びるような、でも同時に逃げたくなるような感じ。
だから「一緒に歩む」という表現が気になったのかもしれない。
歩む、というのは、いきなり答えを出すことじゃない。
立派な決意表明でもない。
今日の私みたいに、レンジの前でぼんやりスマホを見るような夜からでも、なんとか地続きでいてくれる言葉だ。
厚生労働省系の情報でも、妊娠を計画している女性や妊娠の可能性がある女性には、通常の食事に加えてサプリメントなどから1日400μgの葉酸を摂ることが望ましい、と案内されている。だから妊活向けサプリに葉酸が入っていること自体は、特別な流行ではなく、一定の意味がある基本の考え方なんだと思う。
そうやって事実を読むと、余計に思う。
大きな決断の話に見えて、実際はこういうのって、もっと地味な毎日の延長線上にある。
だけど私は、地味な毎日を整えることのほうが案外苦手で、だからこそ、未来の話を前にすると少しだけ縮こまる。
“準備する人”になりたいわけじゃなく、無視し続ける人でいたくなかった
今日の違和感はそこだった。
私はずっと、「準備を始める=ちゃんとした人になること」だと、どこかで思いこんでいた気がする。
食事も睡眠も運動も完璧に管理して、生活リズムも整えて、感情も安定していて、情報もちゃんと集めている人。
そういう人だけが、こういうテーマに向き合う資格があるような気がしていた。
でも実際の私は、寝る前にスマホを見すぎるし、夕飯を適当に済ませる日もあるし、ストレスが溜まると甘いものも食べる。
先のことを考える日に限って、部屋は少し散らかっている。
そんな自分のまま未来のことを考えるのが、なんとなく後ろめたかった。
けれど、今日ふと気づいた。
本当にしんどかったのは、「ちゃんとできていない自分」そのものより、「だから考えないままでいる自分」だったのかもしれない、と。
準備って、きれいな状態になってから始めるものじゃないのかもしれない。
むしろ、整っていない自分が、それでも無視しないでひとつ触れてみることのほうが、よほど現実的なんじゃないかと思った。
もちろん、サプリを飲めば何かがすぐ変わる、みたいな話ではない。
妊活は医療や生活習慣やタイミングも関わるし、サプリはあくまで栄養補給のひとつだと思う。公式側も、妊娠前・妊娠中・出産後の栄養補給を意識した成分設計として案内している。
でも、その“ひとつ”をどう見るかで、自分の気持ちは意外と変わる。
焦っている証拠として見るのか、見栄の延長として見るのか、それとも、自分の未来を雑に扱わないための小さな行動として見るのか。
私はたぶん、後者でありたかった。
立派な人になりたいわけじゃなくて、自分の人生に対して、あまりにも無関心なふりを続けるのが嫌だっただけなのだと思う。
わかる…と思う。
本当は気になっているのに、「まだその段階じゃないし」と言いながら、気にしていない顔をするのって、ちょっと疲れる。
誰かに急かされたわけでもないのに、自分で自分を保留にし続けるあの感じ。
今日の私は、すごく前向きになったわけではない。
劇的に考え方が変わったわけでもない。
ただ、“整ってから向き合う”じゃなくて、“整っていないままでも無視しない”という見方なら、今の自分にも少しだけ手が届くと思えた。
まとめ
部屋の電気をひとつ消すと、ワンルームの端が急に静かになる。
食べ終わった容器を捨てて、シンクのマグカップだけ洗って、寝る前にもう一度だけスマホを見た。
未来に関わるものを前にしたとき、私はいつも、自分がその話題にふさわしい人間かどうかを先に気にしてしまう。
でも本当は、ふさわしいかどうかより、目をそらし続けたくないかどうかのほうが大事なのかもしれない。
「一緒に歩む」という言葉が今日の私に残ったのは、たぶん、頑張れと言われなかったからだと思う。
ただ、ひとりで抱え込まなくていいような響きがあったから。
先のことを考える夜に、完璧な答えなんて出ない。
むしろ、答えが出ないまま眠る日のほうが多い。
それでも、何も決めきれない自分を見ないふりしないことだけは、案外小さくないのかもしれない。
明日になったら、また仕事が始まって、電車に揺られて、別のことで気が散るんだと思う。
今日のこの気持ちも、少し薄まるかもしれない。
でもそれでいいのかもしれない。
大きなことほど、人生を変える決意みたいな顔ではなくて、こういう平日の、散らかった部屋の、レンジの前の数分から始まるのかもしれないから。
そして私はたぶん、まだ何者にもなれていないまま、こういうことを少しずつ考えていく。
その不格好さを、前より少しだけ恥ずかしがらなくてもいいのかもしれない。
そう思えた夜だった。





