なんとなく不調が続く日に寄り添う田七人参サプリ、やさしく巡る毎日へ

朝、駅のホームの端っこで、コートの袖口を指でつまんでいた。
冷たい金属のベンチに座るほどの勇気はなくて、でも立っているには少しだけ足の裏がだるい。改札を抜けてからここまで、わたしはずっと「平気な顔」をしているつもりだったのに、指先だけが正直で、布の毛羽立ちを何度も往復してしまう。
二月の空気って、匂いまで乾いている。遠くで電車が来る音がして、誰かのイヤホンから漏れた低いベースだけが、やけに生々しく聞こえた。
今日は、うまくいかなかったことがひとつある。言い方を変えるなら、うまくいかなかった“気がする”こと。仕事でのちいさなやり取り。
相手の表情。メールの語尾。わたしの返事の速度。たぶんどれも決定打ではないのに、全部が積み重なって、胸の奥に薄い膜を張るみたいに残っている。
出社して最初の会議で、わたしはいつもより少しだけ声が小さかった。自分では「落ち着いている」つもりだったけれど、上司の「大丈夫?」は、たぶん“気遣い”よりも“確認”だった。
うまく返せなかった。言葉が出る前に「ちゃんとしてない自分」が先に立ち上がってしまって、わたしは頷くことで精一杯になった。
それだけのことなのに。昼休み、コンビニで買ったサラダのドレッシングの袋が、どうしても上手く切れなくて、最後は歯で噛み切った。
食べながら、「歯で噛み切る女」って何、と思って、ひとりで小さく笑ってしまった。笑ったのに、なぜか胸が痛い。こういう時の痛みは、だいたい“今日”だけの話じゃない。
帰り道、スーパーの惣菜コーナーで、同じコロッケを三周してしまった。買う気はあるのに決められない。決められないくせに、いざレジに並ぶと「なんでこんなに悩んでたんだろ」と自分に呆れる。
そのくせ、家に帰って袋を置く頃には、悩んでいた理由を思い出せない。記憶って、都合の悪いところだけ消えるんだっけ。
部屋に入って、電気をつける前に少しだけ立ち止まった。暗いのに、部屋の輪郭がわかる。冷蔵庫の位置、洗濯物の山、ソファに投げたブランケット。
ひとり暮らしって、自由の代わりに“全部自分の責任”がある。誰のせいにもできないから、たまに自分にだけ厳しくなる。たぶん、今日のわたしはそのモードだった。
お風呂を沸かしている間、スマホでぼーっと楽天市場を眺めた。買うものは決まっていない。決まっていないのに、ランキングとか、レビューとか、「みんなが選んでいるもの」を見ていると、少しだけ自分が“社会の流れ”に乗っている気がするから不思議だ。
ひとりでいると、時々、自分の存在が薄くなる。だから、誰かの購入履歴の波に、指先だけでも浸かりたくなる。
そこで、目に入ったのが「田七人参」という言葉だった。高麗人参なら聞いたことがある。けれど“田七”は、なんだか漢字の並びが強い。
オーガニック田七人参で、内側からゆるやかに整える習慣。強い漢字は、弱っている日ほど惹かれる。わたしはたぶん、今日ちょっと弱っている。
調べてみると、田七人参(別名:三七人参)は人参の仲間で、サポニンを含むことで知られているらしい。紹介ページでは「高麗人参の約7倍のサポニン」といった表現も見かけた。
数字はいつだって魅力的だ。だけど同時に、数字はわたしの心を雑にまとめようとする。7倍、と言われても、わたしの今日のだるさは何倍なんだろう。比べたって、答えが出ないものがある。
それでも、気になってしまったのが「ゆうき田七人参粒」だった。説明を追うと、完全無農薬・有機栽培の田七人参を使い、40頭サイズの田七根のみを厳選して粒にしている、という話が出てくる。
“頭数”って、なんだろうと思ったら、500gの袋に入る個数で大きさを示す目安らしい。40個入るなら40頭。頭数が小さいほど大きくて重い、上質の田七人参の目安になる、と。
こういう基準を知ると、急に世界が少しだけ立体的になる。知らなかっただけで、ちゃんと理由がある。理由があると、わたしは安心してしまう。
原材料は「有機田七人参末(国内製造)」で、賦形剤などの添加物を使わず、田七人参の原料だけで錠剤化している、という説明も見かけた。
添加物が悪いとか良いとか、そういう単純な話じゃないのに、弱っているときのわたしは「余計なものが少ない」という言葉に救われる。余計なものが少ない人生が欲しい、みたいに。
飲み方の目安は1日4〜8粒。水かぬるま湯で。
これも、なんだかちょうどいい。“頑張りすぎない範囲”の数字に見える。サプリって、気合いで飲むものだと思っていた時期がある。昔、ビタミンを数種類並べて、飲むこと自体が目的になっていた。
でも、続かなくて。続かない自分に嫌気がさして。結局、やめた。わたしはたぶん「続けられること」にいちばん価値を置きたいのに、続けられない自分を責めてしまう。
ここまで読んで、わたしは少しだけ手を止めた。「だから、何?」って自分に聞いてみた。田七人参を飲んだら、今日のモヤモヤが消えるの? 上司の“確認”が“気遣い”に変わるの? ドレッシングの袋がすっと切れるようになるの? たぶん、ならない。
でも、そういう“即効性”を求めているわけでもないのかもしれない。わたしが欲しいのは、もっと曖昧なもの。今日の自分を「まあ、そんな日もある」と言ってあげられる余裕。睡眠の質。朝の起き上がりやすさ。
夕方のため息の回数。そういう、測れないけど確かにあるもの。
それを思い出したのは、先週の夜、友だちから来たLINEだった。
「最近さ、身体が重いと心まで引っ張られない? 私、ちょっと“中から整える”の始めた」って。そこで貼られていたのも、田七人参のリンクだった。友だちはいつも、流行に振り回されるタイプじゃない。むしろ慎重で、レビューも読むし、合わなかったらすぐやめる。でも、やめることを恥だと思わない。あの軽さが羨ましい。
わたしは、やめることを、どこかで負けだと思ってしまう。続けられないなら最初からやるな、と心の中の厳しい人が言う。でも、最初からやらなかったら、何も変わらない。変わらないのに、変わりたいと願う。矛盾してる。矛盾してるのに、毎日それで生きている。
整えたい気持ちに寄り添う、和漢サプリメント。 40代からのゆらぎや変化を受け止め、前向きに過ごしたい方へ。 信頼できる素材・製法・第三者評価まで揃った本格派サプリです。うまくいかなかった日ほど、身体のことを後回しにする

今日、夕飯を食べながら、ふと気づいた。
わたしは「うまくいかなかった日ほど、身体のことを後回しにする」。それって、変だ。うまくいかなかった日ほど、労わったほうがいいのに。だけど、うまくいかなかった日は、やけに自分に罰を与えたくなる。甘いものを食べすぎたり、逆に何も食べなかったり。
お風呂をシャワーで済ませたり。スマホを見続けたり。翌朝、自分がもっとつらくなる選択を、わざわざ選んでしまう。
商品ページにある注意書きは、たぶんどのサプリにもあるような、当たり前の言葉が並んでいる。目安量を守ること、体質に合わなければやめること、妊娠・授乳中や治療中なら医師に相談すること。
だけど、その“当たり前”が、今日のわたしには眩しかった。わたしは当たり前を、たまに忘れる。
「国内のGMP認定工場で製造」という説明も見かけた。
認定とか管理とか、そういう言葉に、わたしは少し救われる。自分の生活は、管理できていない部分が多いから。片付いていない棚。締切が迫る家計簿。
寝る前の“あと五分”が三十分になる癖。だからこそ、他の場所にある“整えられた何か”に触れると、少しだけ自分も整った気になる。
もちろん、それは錯覚かもしれない。サプリを飲んだって、部屋が片付くわけじゃない。仕事のメールが優しくなるわけでもない。でも、錯覚でもいい日がある。自分を前に進めるための、小さな演出。舞台裏でこっそり支えてくれる小道具。
それでも、わたしは「続けたい」より先に「揺れる」。
もし飲み始めたら、わたしは何を期待してしまうんだろう

カートに入れるボタンの手前で、わたしは何度もスクロールしてしまった。レビューを読む。商品説明を読む。もう一回読む。こういうとき、わたしは“情報で不安を薄めよう”とする。
情報を集めれば集めるほど、決断ができると思っている。だけど、本当は逆で、情報が増えるほど「決められない理由」が増える。どこまで信じる? どこまで期待する? もし合わなかったら? 合わなかったとき、わたしは自分をどう扱う?
「添加物を使っていないぶん割れやすいので注意」という一文もあった。
割れやすい粒。なんだか、人みたいだ。余計なもので固めないと、壊れやすい。わたしも、余計なものを持ちすぎて重いのに、いざ余計なものを手放すと不安になる。矛盾がまた出てくる。
それでも、ページのどこかに「1日4〜8粒」というやさしい数字があって、わたしはまた少しだけ呼吸が整う。
4粒の日があってもいい。8粒の日があってもいい。今日はどっち? って、自分に聞ける。聞けるだけで、今日のわたしは少し救われる。
たぶん、わたしが欲しいのはサプリそのものよりも、「自分に問いかける習慣」なのかもしれない。今日は疲れてる? 今日は眠れそう? 今日はちゃんと水を飲んだ? 今日は、ひとりで抱えすぎてない?
そういう問いは、誰かが代わりにしてくれない。ひとり暮らしは、自由だけど、問いも全部自分で用意しなきゃいけない。
だから、ランキング入りという言葉に惹かれながらも、わたしは同時に怖い。「みんなが選んでる」って、安心だけど、逃げでもある。みんなが選んでるから、わたしも、って言えたら楽だ。
でも、わたしは本当は、わたしの理由で選びたい。理由が欲しい。自分のために選んだ、と言える小さな証拠が欲しい。
今夜、わたしは結局、購入ボタンを押さなかった。押さなかったのに、画面を閉じたあとも、田七人参の文字が頭に残っている。残っていること自体が、たぶん今日の収穫だ。うまくいかなかった日に、わたしは「自分を整えること」を一瞬でも思い出せた。その一瞬が、わたしの中で小さな火種みたいに残った。
明日、押すかもしれない。押さないかもしれない。どっちでもいい気がする。大事なのは、今日のわたしが“自分に向き合う方向”を、ほんの少しだけ向けたこと。
結論は出さないまま、湯気の立つマグを両手で包んで、わたしは自分に言う。「まあ、まだ途中だよ」。
整えたい40代女性に、東洋漢方という新しい選択を。




