美容にお金をかけているのに、いつからか「可愛いね」が消えた日の帰り道

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    「可愛いね」と言われなくなった瞬間を、私はレシートみたいに握りしめていた

    落ち込む女性

    今朝、カーテンを少しだけ開けたら、冬の光が部屋の床に細い線を引いていました。晴れているのに空気が冷たくて、ベランダに出る気にはなれない。洗濯機の回る音だけが「生活してますよ」と主張してくるのが、ひとり暮らしの朝のいちばんリアルなBGMです。

    出勤前、鏡の前でいつもより丁寧に髪を整えて、リップの輪郭もきっちり取って、服も「間違いのないやつ」を選びました。別に誰かに会う予定があるわけじゃないのに、こういう丁寧さが、最近の私には必要だった。お金をかけた分だけ自分の輪郭がはっきりする気がして、輪郭がはっきりすると、心まで薄くならずに済む気がするから。

    なのに、今日の私は、職場で誰からも「可愛いね」と言われませんでした。

    ……いや、正確に言うと、言われなくなってからしばらく経っているのに、今日それが、やけに刺さった。刺さったというより、静かにズブズブ沈んだ。水の中に落ちたコインみたいに、音も立てずに底まで落ちていく感じ。

    きっかけは、ほんとうに小さい出来事です。昼休み、コンビニで買ったカフェラテのレシートを、私は無意識に握りしめていました。レジのお姉さんが「ありがとうございます」って言った声が、すごくニュートラルで、そこに好意も嫌悪もなくて、ただの「処理」みたいに聞こえた。私はたぶん、その“ニュートラル”に、勝手に寂しくなったんだと思う。

    帰り道、駅のガラスに映った自分を見て、「あ、今日の私、ちゃんとしてるな」って思いました。ちゃんとしてる。うん、ちゃんとしてる。それって、いいことのはずなのに、なぜか胸の奥で、別の何かがしょんぼりしている。私が欲しかったのは「ちゃんとしてる」じゃなくて、「可愛いね」だったんだって、その瞬間わかって、ちょっとだけ情けなくなりました。

    ここから先は、たぶん私が今まであまり書いてこなかった感情の話です。「可愛いって言われたい」じゃなくて、「可愛いって言われない自分に、どこで線を引けばいいかわからない」という、地味で、後味が悪いほうの感情。

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    「可愛い」は、努力の成果じゃなくて“立場”の言葉だった

    昔は、ちょっと髪を整えたり、新しい服を着たりすると、「今日可愛い!」って軽く言われた気がします。軽く、です。軽い言葉だからこそ、うれしかった。気合いを入れたのがバレるのが恥ずかしい私にとって、軽い言葉はちょうどよかった。「わ、気づいた?」って冗談っぽく返せるし、その場の空気が一段ふわっとする。

    でもいつからか、その言葉が減った。

    代わりに増えたのは、「しっかりしてるね」「頼りになるね」「仕事早いね」みたいな評価です。ありがたい。ありがたいんだけど、そこには“ときめき”がない。評価の言葉って、受け取った瞬間に、背筋が伸びる代わりに、肩が固まる。褒められてるのに、次の期待まで一緒に渡される感じがするから。

    今日、同僚に言われたのも「助かった〜、さすがだね」でした。嬉しいはずなのに、私は心の中で小さくつぶやいていました。

    (……“さすが”って言われるようになったら、もう“可愛い”は戻ってこないのかな)

    この本音、誰にも言えない。言った瞬間、自分がすごく薄っぺらい人に見えそうで怖い。努力してるのに、仕事してるのに、まだ「可愛い」にしがみついてるの?って。そんなふうに思われたくなくて、私は黙る。

    だけど、今日みたいに「ちゃんとしてる私」が前面に出てくると、余計に思うんです。「可愛い」は、努力の成果というより、いつの間にか人から割り当てられる“立場”の言葉だったのかもしれないって。

    年齢の話じゃなくて、立場。後輩になったとか、先輩になったとか、責任が増えたとか、役割が固まったとか。誰かの前で、私が“守られる側”じゃなくなったとき、可愛いはそっと引き出しに戻される。そういうルールが、社会の空気にある気がする。

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    私は「可愛く見える工夫」じゃなく「可愛いと言われる余白」を失っていた

    喜ぶ女性

    もうひとつ、今日思い当たったことがあります。最近の私は、隙がない。隙がないって、言い換えると「失敗しないようにしてる」ってことです。

    仕事でミスしたくない。疲れて見られたくない。雑に扱われたくない。舐められたくない。だから私は、言葉も服も態度も、なるべく“ちゃんと”で包む。ちゃんとした人って、安心する。信頼される。だけど、安心と信頼は、必ずしも“可愛い”と同居しない。

    可愛いって、どこか「危なっかしさ」とセットな気がします。忘れ物をしても笑って許される、ちょっと抜けてても憎めない、困ってるときに守りたくなる。そういう、危なっかしさの周辺にある言葉。私はそこから、きれいに距離を取る努力をしてきた。

    たとえば、飲み会の席で無理に明るくしない。返信は早めに返す。お願いするときは先に論点をまとめる。エレベーターでは端に寄る。店員さんには丁寧に。家でもなるべく散らかさない。そういう“ちゃんと”の積み重ねが、私の生活を守ってきたのは事実です。

    でも、守ったぶんだけ、何かが削れていく。言葉にしづらいけど、「可愛いと言われる余白」みたいなものが。

    今日、コンビニのレジで感じたニュートラルさは、私の見た目の問題じゃなくて、私が世界に差し出している表情の問題だったのかもしれない。私が「あなたに迷惑かけません、私は整ってます」と無言で言っているから、世界も「了解、処理します」と返してくる。そこに、ふざけた余白も、甘えた隙も、揺れもない。

    わかる…って言ってくれる人がいるなら、ここで一文だけ置いておきたい。
    頑張っているはずなのに、頑張りが“愛される方向”に使われてない気がすると、すごく虚しい。

    今日の小さな行動が、私の“欲しさ”を見せてしまった

    帰宅して、コートを脱いで、部屋の電気をつけて、ソファに沈みました。暖房の風が当たるまでの数分って、ほんとに長い。寒いのに、スマホを開く指だけは動く。

    私は、なんとなくSNSを見ていました。誰かの「彼氏に可愛いって言われた」投稿。誰かの「褒められて伸びるタイプ」って自己紹介。誰かの写真のコメント欄に並ぶ「可愛い!」の文字。私は、それを眺めながら、うっかり自分の昔の写真まで見返してしまった。数年前の、ちょっと笑い方がゆるい私。顔が若いとか、そういうことじゃなくて、表情が“頼られてない”感じ。

    そして、私は本当に小さいことをしました。

    明日の予定もないのに、部屋着のまま、近所のドラッグストアまで歩いて、入浴剤を一つ買いました。美容とは関係ない、ただの香りのやつ。ラベンダーとか、そういう「誰も傷つけない匂い」のやつ。買った理由は、たぶん一つです。

    今日の私は、誰かからの「可愛い」をもらえなかったから、代わりに“可愛い気分”を買おうとした。

    この行動、冷静に見るとちょっと笑える。大人が、入浴剤一つで機嫌を取ろうとしてる。でも、笑えるからこそリアルで、私はそこに自分の“欲しさ”を見た。欲しかったのは、言葉。認定。あるいは、私の存在が誰かの中で柔らかく扱われる感覚。

    お金をかけても、整えても、それは買えない。買えないから、余計に欲しくなる。欲しいって思ってる自分が、また恥ずかしくなる。恥ずかしいから、誰にも言えない。言えないから、静かに溜まる。……今日の私は、そのループの底に、いったん足を突っ込んだ気がします。

    だけど、ここで無理に「だから自分のために生きよう」みたいな結論にはしたくない。そんなに綺麗に片づかない。そもそも私は、他人の目を気にしない強い人間じゃないし、誰かに可愛いって言われたら普通に嬉しいし、その嬉しさで翌日の体温が少し上がるタイプです。

    今日の小さな気づきは、もっと地味です。

    「可愛いね」と言われなくなったのは、私の価値が下がったからじゃなくて、私が“可愛いと言われる関係”から少し遠ざかったからかもしれない。守るべき生活を守るために、私は自分の表情から余白を削ってきた。だから今、世界が私を“ちゃんとした人”として扱うのは、ある意味、私の望みが叶っている証拠でもある。

    ……そう思うと、また複雑です。望みが叶ったのに、寂しいなんて、ずるい。

    でも、じゃあ明日から、わざと抜けたふりをするとか、甘えるとか、そういう作戦を立てたいわけでもない。可愛いって、演出すると途端に空気が濁る。私はそれを知っている。可愛いは、たぶん「私がこうしたい」だけでは成立しなくて、相手との距離感と、タイミングと、その場の温度で、偶然に落ちてくるもの。

    今日、入浴剤をお湯に溶かしたら、湯気がふわっと立って、部屋の匂いが少しだけ柔らかくなりました。私は湯船の中で、ふと思ったんです。

    もし、誰かに「可愛いね」って言われることが減っていくなら、せめて私は、自分に対して「今日の私、ちょっと好きかも」と言える瞬間を増やしたい。言える日もあれば、言えない日もある。その揺れごと抱えていたい。抱えるっていうか、手のひらに乗せて眺めるくらいの距離で。

    湯船から出たあと、タオルで髪を拭きながら、昔友だちに言われた一言を思い出しました。「最近、可愛いっていうより、綺麗になったよね」。当時は褒め言葉だと思って笑って受け取ったのに、今になって、その言い換えの裏側がじわっとわかってしまう。“可愛い”は距離を縮める言葉で、“綺麗”は距離を保つ言葉。褒められているのに、少しだけ壁ができる。そういうニュアンスの差って、たぶん誰もはっきり説明しないけど、私たちの会話の中には確かに存在していて、気づいた瞬間に、妙に寂しい。

    だから私は今日、可愛いと言われなかったことより、「私、可愛いって言われたいんだ」と自覚したことに、いちばん驚いたのかもしれません。欲しいものがはっきりすると、叶わない可能性も一緒に見えてくるから。自分の“欲しさ”って、可愛い服より、いちばん隠したい部分だったりする。

    最後に、自分に問いかけて終わります。

    ねえ、あなたは最近、誰からどんな言葉で褒められて、どんな言葉が、なぜか胸の奥に引っかかったままになっていますか。

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