夜になると急に食べたくなる理由と静かな部屋に負ける瞬間の話

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    目次

    ダイエットは夜に負ける競技

    バストケアをする女性

    夜って、たぶん一日の中でいちばん「判定」が厳しい時間帯だと思う。朝の私はわりと優秀で、コップ一杯の白湯と、薄いカーテン越しの光だけで「今日こそちゃんとする」みたいな顔をしている。

    出勤前の駅までの道も、いつもより一駅ぶん歩いてみたりして、運動してる私、えらい、って自分に小さく拍手してしまう。
    でも、それは昼までの話だった。

    今日の東京は、寒いのに空気が妙に乾いていて、帰宅する頃にはコートの内側に細い砂がたまっているみたいな気分だった。玄関で靴を脱いだ瞬間、部屋の静けさが「おかえり」じゃなくて「おつかれ」でもなく、ただ無言で立ち尽くしている感じがして、私はいきなり弱くなった。


    夜の部屋って、生活の匂いがするはずなのに、たまに“誰にも見られていない自分”が急に大きく見えて、落ち着かない。

    今日起きた小さな出来事は、すごくくだらない。


    洗濯機を回しながらキッチンの引き出しを開けて、乾物のストックを確認するつもりだったのに、なぜか私はスマホの画面を開いて、デリバリーアプリの「おすすめ」を眺めていた。

    夕飯は家にあるもので作れる。作れるのに、指だけが勝手に「人気」「新着」「クーポン」のタブを渡り歩いて、私の中の何かが、ゆっくりと敗北へ向かって準備運動を始めていた。

    この瞬間の本音って、たぶん誰にも言わない。
    「お腹が空いた」じゃない。
    「今日は頑張ったから」でもない。
    もっと、みっともないやつ。
    “今夜だけは、明日の自分に迷惑をかけてもいいから、何かで埋めてほしい”っていう、あの感じ。
    わかる人にはわかると思う。夜の空腹は、胃じゃなくて、心の隙間から来る。

    1. 夜になると「審判」が現れる

    昼間の私は、いろんなことを言い訳にできる。仕事が忙しかった、移動が多かった、会議が長かった、上司の機嫌が悪かった。そういう外側のせいにして、気持ちを保てる。


    でも夜は、外側の要因がだんだん消えていく。帰宅して、メイクを落として、部屋着になった瞬間から、言い訳が薄まる。音も少なくなる。


    その静けさの中で、急に「本当はどうしたいの?」って聞いてくる審判が現れる。しかもその審判、めちゃくちゃ冷たい顔をしている。
    “今日の歩数、どうだった?”
    “昼に甘いもの食べたよね?”
    “さっきデリバリー見てたよね?”
    質問が具体的すぎて、反論の余地がない。

    私は別に、痩せて人生が変わるとか、そういう大きな夢を抱いているわけじゃない。たぶん普通に、鏡の前で服を選ぶ時間をもう少しラクにしたいとか、写真を撮られたときに変な角度を探さなくて済むようになりたいとか、そういう地味な願い。


    だけど夜は、その地味な願いすら「結局できないじゃん」と一緒にまとめて否定してくる。
    ダイエットが夜に負ける競技だとしたら、夜は“相手チームのホーム”なんだと思う。観客も審判も相手側にいて、こっちはアウェイで一人、みたいな。

    今日、まさにそれだった。
    冷蔵庫を開けても、作り置きの副菜がちょっと残っているだけで、華やかさがない。自炊って、夜にやると地味さが際立つ。


    その地味さが、やけに心細くて、私はスマホに手を伸ばしてしまった。

    2. 私が負けたのは「食欲」じゃなくて「孤独」

    ここが今日の、たぶん私の中でいちばん新しい視点だった。
    私、食欲に負けたんじゃない。孤独に負けた。


    それを認めるのって、なんか悔しい。だって“孤独”って言葉を使った瞬間に、ちょっとドラマチックになってしまうし、重い人みたいに見える。


    でも実際は、もっと些細で、もっと日常的な孤独だった。

    例えば、帰宅してから誰とも会話をしないまま、洗濯機の回る音だけを聞いている時間。
    例えば、LINEを開いても、特に用事のない相手に送る言葉が見つからない時間。


    例えば、SNSのタイムラインで知らない人の「今日は彼氏と◯◯」とか「友達と鍋」みたいな投稿を、別に羨ましくもないふりをしながら眺めてしまう時間。


    そういう“誰にも言わない小さな孤独”が、夜になると少しずつ積もって、最終的に「食べる」という一番手っ取り早いスイッチを押させる。

    デリバリーの画面って、すごく優しい。
    「今すぐ届く」
    「人気」
    「クーポン」
    まるで、私の味方みたいな言葉が並ぶ。
    料理の写真も、光が強くて、ちゃんと温かそうで、「ひとりでも大丈夫」って言ってくる。
    あれ、ズルい。


    夜の私が弱いのを、よく知ってる。

    そして私は、今日もそのズルさに負けかけた。
    お気に入りに入れてある店を開いて、カートに入れそうになって、指が一瞬止まった。
    そのとき、胸の奥で浮かんだ本音がこれだった。


    “注文したら、今夜の私が少し報われる気がする。でも、報われたい理由が、食べたいからじゃないのが自分でわかってしまって、嫌だ。”


    わかってしまうと、急に食べ物が“慰めの道具”みたいに見えてしまって、余計に虚しくなる。
    なのに、やめられない。これが夜の競技のいやらしさ。

    3. 勝つためのコツじゃなくて「負け方の癖」を観察する

    ランニングをする女性

    こういう文章を書くと、「じゃあどうすればいいの?」って話になるのかもしれない。
    でも今日は、気合いとかテクニックとか、そういう方向に着地したくない。だって私は何度も、気合いで勝とうとして負けてきた。勝てなかった日の自分を責めて、翌日もっと不機嫌になって、さらに夜に弱くなる。ループ。


    それより今日、ちょっとだけ気づいた“ささやかな変化”は、負ける前の私には、いつも同じ癖があるってことだった。

    ・部屋が静かすぎる
    ・冷蔵庫の中が地味
    ・スマホの画面が明るい
    ・頭の中で「明日が怖い」が増える
    この条件がそろうと、私は食べたくなる。というより、何かで遮断したくなる。

    だから私は今日、注文ボタンを押す代わりに、すごく小さな行動を一つだけした。
    キッチンの電気を全部つけて、あえて部屋を明るくして、湯沸かしポットを回した。
    お湯が沸くまでの数分って、びっくりするほど“間”がある。


    その間に私は、洗濯物の乾燥が終わる音を聞いて、タオルを畳んで、コップにお湯を注いだ。
    白湯にしたかったけど、ただのお湯でいいやって思った。


    丁寧な暮らしごっこをしたいわけじゃなくて、“今夜の私”を、ほんの少しだけ現実に戻したかった。

    それでも、食べたい気持ちは消えなかった。消えない。
    消えないけど、少しだけ違ったのは、食べ物を「ご褒美」にしようとする前に、“私は今、何を怖がってる?”って一瞬だけ立ち止まれたこと。


    怖かったのは、明日も同じように働いて、同じように帰ってきて、また夜に負けるかもしれないっていう未来だった。
    未来って、たぶん一番お腹が空く。目に見えないのに、ずっと圧がある。

    私が今日感じた違和感は、「ダイエットに負けたくない」というより、「負けるたびに自分のことを嫌いになっていくのが嫌だ」という感覚だった。


    食べることそのものより、食べたあとに“私ってこういう人間だよね”って雑にラベルを貼る癖。
    夜は、そのラベル貼りが雑になる。乱暴になる。


    「どうせ」って言葉が出てくる。
    この“どうせ”が、本当は一番太らせる。体じゃなくて、心を。

    それともう一つ、夜の私がズルいなと思うのは、勝敗を「0か100か」でつけたがるところだ。
    今日は注文しなかった、えらい。明日は注文した、終わり。みたいに。


    でも実際の夜って、もっとグラデーションで、勝ってるのか負けてるのか、本人にもよくわからない。
    ちょっとつまんだだけ、味見のつもり、仕事で遅くなっただけ、寒かっただけ。


    そうやって“判定を曖昧にする言い訳”が、夜にはやけに上手くなる。

    今日も、卵かけごはんを食べたあとに、私は一度だけコンビニに行きかけた。
    財布と鍵を手に取って、エレベーターの鏡に映った自分の顔が、びっくりするほど「何かを探してる顔」をしていて、そこで立ち止まった。


    買いに行きたいのはチョコかもしれないし、ポテチかもしれないし、ホットスナックかもしれない。
    でも本当は、コンビニの明るさとか、人の気配とか、レジで「袋いりますか?」って聞かれるあの当たり前のやり取りがほしかったんだと思う。


    “ひとりでも社会に接続してる感覚”みたいなもの。

    ここまで書いておいてなんだけど、私は夜が嫌いなわけじゃない。
    夜は好きだ。照明を少し落として、ソファに沈み込んで、外の音が遠のいていく感じ。


    ただ、夜にだけ現れる自分の弱さが、あまりにも素直で、取り扱いが難しい。
    昼の私の「ちゃんとしてる」も、夜の私の「どうでもいい」も、どっちも私なのに、夜の方が本性みたいに感じてしまう瞬間がある。


    その瞬間が来ると、食べ物は一番簡単な“味のついた結論”になる。

    だからたぶん私は、食べ物の問題を解こうとしているふりをしながら、実は「夜の私をどう扱うか」をずっと練習している。


    勝つ練習じゃなくて、負けても転ばない練習。転んだあとに、自分に冷たい言葉を投げない練習。
    そういう練習って、目に見える成果が遅いから、途中で飽きるし、正直つまらない。


    でも、夜って毎日来る。毎日、同じ試合がある。
    だったら、せめて自分に対する実況だけは、少しマシにしたい。


    「はい、また負けました」じゃなくて、「今夜は手強かったね」くらいの、甘い実況でいい。
    それでもたぶん、私たちは十分に頑張ってる。


    “わかる…”って言いながら、今夜もどこかで、誰かが冷蔵庫の前で立ち尽くしてると思うから。

    結局私は、今日はデリバリーを注文しなかった。代わりに冷凍ごはんをチンして、卵を落として、味噌汁にネギを入れただけの、地味な夜ごはんにした。


    勝った気はしない。むしろ、観客席から「それだけ?」って笑われてる気すらする。


    でも、夜の競技って、たぶん大逆転じゃなくて、こういう“地味な延長戦”の積み重ねなんだと思う。
    明日もまた夜は来るし、私はまた弱くなるかもしれない。


    そのとき、あなたは何に負けてしまう? 食欲? それとも、名前のない寂しさ?
    私はたぶん、またどちらにも負ける。だけど、負けた自分に貼るラベルだけは、少しずつ雑じゃないものにしていきたい。

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