なんとなくスッキリしない毎日に、善玉菌をサポートする乳酸菌発酵エキスゼリーという新しい選択

帰り道の風が、まだ少しだけ冷たかった。四月になったのに、夜は思っていたよりちゃんと寒くて、薄いコートの袖口から入ってくる空気に、ああ今日は思ったより疲れていたんだな、とあとから気づいた。
駅前のドラッグストアは明るすぎるくらい明るくて、レジ前には新生活向けらしい洗剤やら保存容器やらが積まれていて、その「きちんと暮らしましょう」みたいな圧に、勝手に少しだけ肩がすくむ。
私はたぶん、外ではそれなりにちゃんとして見える。髪も一応まとめて、声のトーンも荒げず、接客のときはちゃんと笑う。相手が何を求めているかを先回りして、空気を悪くしないように動くことも、もう癖みたいになっている。
そういうふうに一日を終えて部屋に戻ると、玄関に脱いだ靴が少し斜めになっているだけで、なんだか今の自分そのものみたいに見える日がある。
今日が、まさにそんな日だった。
冷蔵庫の中には、半分残った豆腐、開けたままの袋に入ったしめじ、賞味期限が明日の卵、あと缶チューハイが一本。作れなくはない、でも気力がそれに追いつかない。
スマホにはアプリの通知がいくつか来ていて、誰かの近況も、セールの案内も、どうでもいいわけじゃないのに、今はちょっとだけうるさかった。
わかる、こういうときって、何か大きな問題があるわけじゃないのに、生活の全部が少しずつ遅れて見える。洗っていないマグカップとか、返していないメッセージとか、今後のことを考えるとぼんやり怖いのに、今すぐできることはたいしてない、みたいなあの感じ。
そんな夜に限って、体のどこが悪いとも言えないのに、妙にすっきりしない。気分なのか、お腹なのか、頭の中なのか、自分でもはっきり分からないまま、台所に立って、蛇口の水音だけをしばらく聞いていた。
台所で、ゼリーひとつを選ぶだけのこと

今日の小さな出来事といえば、本当にそれだけかもしれない。駅前で買ってきた小さな荷物の中から、「善玉元気」を一本取り出して、シンクの前でしばらく眺めていたこと。大げさでも何でもなく、ただ、飲み物でもお菓子でもなく、そういうものを選びたくなった自分に少しだけ驚いた。
この商品は、乳酸菌発酵エキスを主成分にしたゼリータイプのサプリメントで、公式では「善玉菌をサポートする」ものとして案内されている。
菌そのものではなく、乳酸菌やビフィズス菌が発酵して生み出した代謝物質を使っていること、ゼリータイプで続けやすいこと、オリゴ糖・食物繊維・ポリフェノールなどの副成分も考えられていることが紹介されていた。研究の歴史は100年以上とされ、90日間返金保証やGMP工場での製造についても公式に記載がある。
ほんとうに、ただ一本のゼリーだ。なのに今日はそれが、栄養とか健康とかいう話より先に、いまの自分に対して「雑に扱いすぎない」という意思表示みたいに見えた。
うまく説明できないけれど、自炊を頑張るほどの元気はない、ストレッチをする気力もない、でもコンビニの甘いものを勢いで流し込むみたいには終わりたくない、その中途半端な場所で手を伸ばせるもの、という感じ。
封を切るときの、あの小さい音が好きだ。キッチンの白い光の下で、ブルーベリーっぽい香りが少し立って、部屋の中の生活感にまぎれる。映える感じでは全然ない。
洗っていないフライパンも見えていたし、シンクの隅には水滴が残っていたし、テーブルの上には読みかけの本とヘアクリップと充電器が散らばっていた。それでも、その一本を口にした時間だけ、今日が少しだけ中断された気がした。
たぶん私が欲しかったのは、劇的な回復じゃなくて、「これ以上、雑に崩さないで済む感じ」だったんだと思う。
ちゃんとしてるふりの内側で、少しだけ意地悪になる

こういうとき、誰にも言わない本音がある。
私、べつに意識が高いわけじゃない。ただ、ひどくなりきるのが怖いだけなんだと思う。
ちゃんと暮らしたい、というより、ちゃんと暮らせていない自分を見たくない。部屋が荒れていることより、それを見ても何も感じなくなることのほうが怖い。
食事を抜くことより、「まあいいか」が重なっていくことのほうが怖い。たぶんそういう怖がり方を、私はずっとしている。
それなのに外では、わりと平気そうに見えてしまう。仕事中に「いつも落ち着いてますよね」と言われたりすると、少し笑いながら「そんなことないですよ」と返すけれど、心の中では、いや、かなり散らかっています、と思っている。散らかっているのに、散らかっているように見せない技術だけが上がっていく。あれはあれで、けっこう消耗する。
今日、台所でゼリーを手にしたとき、ふと浮かんだのは、ものすごくかわいくない本音だった。
ここまで疲れてるのに、まだ自分の機嫌を自分で取らなきゃいけないの、けっこう面倒だな。
誰かが悪いわけじゃない。仕事も、生活も、年齢も、全部たぶん普通の範囲だ。なのに、普通の範囲の中でじわじわ疲れていく感じが、いちばん説明しにくい。
わかりやすく倒れたら休めるのに、倒れるほどじゃないから明日も起きて、メイクして、ちゃんと話して、帰ってきたらまた少し空っぽになる。その繰り返しの中で、自分を雑に扱わないための小さい工夫まで、自分で見つけなきゃいけないのが、正直ちょっとだけ腹立たしい。
たぶん、こういう感情ってあまり言わない。言ったところで「頑張りすぎじゃない?」とか「少し休みなよ」で終わるから。
もちろんその言葉は正しいのかもしれないけれど、休めば解決する疲れじゃない日もある。休むことさえ、軽く予定に組み込めるほど器用じゃない日もある。
そういう夜に必要なのは、正論じゃなくて、体と気持ちのあいだに薄く一枚なにかを挟むことなのかもしれない。いきなり立て直すんじゃなくて、崩れる速度をほんの少し落とすこと。
お腹を整えるとか、腸内環境とか、そういう言葉に飛びつきたいわけじゃないのに、でも「善玉元気」みたいに、名前からして少し素朴で、ちゃんとしすぎていないものに救われる夜はある。元気、なんて大きな言葉、普段ならちょっと気恥ずかしいのに、台所の白い灯りの下だと、案外しっくりきた。
すっきりしない日は、原因より先に“雑さ”を止める
今日の違和感は、たぶんここだった。
私はずっと、「しんどい理由」を探しすぎていたのかもしれない。仕事が忙しいからか、睡眠が浅いからか、将来が不安だからか、人間関係で気を遣いすぎたからか。
もちろん全部少しずつ当たっているのだろうけれど、理由がはっきりしない日ほど、逆に身動きが取れなくなる。原因が分からないから、対策も決まらない。対策が決まらないから、とりあえずスマホを見る。スマホを見るから、余計に疲れる。その流れのなかで、気づけば自分の輪郭がぼやける。
でも今日、シンクの前で思った。もしかすると、すっきりしない日に最初にやることは、理由を突き止めることじゃなくて、自分への“雑さ”をいったん止めることなのかもしれない、と。
たとえば、帰ってすぐ部屋の明るい照明をつけっぱなしにしない。コンビニで甘いものを衝動で二つ買わない。空腹でも満腹でもないのに、何かを流し込むみたいに食べない。
スマホを持ったまま床に座り込まない。ほんの少しでいいから、崩れ方にブレーキをかける。そのひとつとして、今日はゼリーを一本、静かに食べた。それだけのことなのに、なぜか「まだ自分を放置していない」という感じが残った。
これ、たぶん明日すぐ真似できることでもある。立派な習慣じゃなくていい。疲れている日に、新しいことを始めなくていい。ただ、自分に対する雑な扱いを一個だけ減らす。
帰宅してすぐ床にバッグを投げない、とか、白湯を一口飲む、とか、食べるものを一回だけ選び直す、とか。変化というには小さすぎるけれど、小さいもののほうが、その夜の自分には届く気がする。
しかも、そういう小ささって、少しだけ救いがある。大きい変化は失敗すると自分を責めやすいけれど、小さい選び直しは、失敗というほどの重みを持たないから。
大人になると、劇的に変わることより、「ひどくしないで済んだ日」のほうが案外ありがたい。その地味さを、昔より信じるようになった。
元気になりたいんじゃなくて、鈍くなりたくないだけかもしれない
結局のところ、私は今日、すっきりしたかったというより、鈍くなりたくなかったのだと思う。
疲れていることに慣れすぎて、何を食べても同じ、何を選んでも同じ、どうせ明日も同じ、みたいな顔をし始める自分には、あまり会いたくない。
生活って、急に壊れるより先に、たいてい少しずつ雑になる。その少しずつに気づけるうちは、まだ大丈夫なのかもしれない。そう思えたのが、今日のいちばん小さな発見だった。
善玉元気がどうこう、という話だけにしたくなくて、でも今日の私には、その一本がちゃんと出来事だった。乳酸菌発酵エキスとかポリフェノールとか、そういう成分の話はたしかにあるし、それに安心する人もいると思う。
けれど、それ以上に私には、「今日は自分をぞんざいに終わらせなかった」という記憶として残った。そういう記憶はたぶん、想像しているよりあとを引く。
明日になれば、またバタバタした朝が来て、電車は混んでいて、仕事では笑うだろうし、夜になればまた別の理由で少し疲れるのだと思う。
それでも、すっきりしない日に必要なのは、立派な改善より、「ここでこれ以上こじらせない」という静かな判断なのかもしれない。部屋の隅にたまるほこりみたいに、しんどさも放っておくと積もるから。
ちゃんとしてる人ほど、崩れないんじゃなくて、崩れ方を人に見せないだけなのかもしれない。そして、その見えない崩れ方を、自分だけはちゃんと見てあげないと、あとで少し面倒なことになる。
今夜の台所で私が止めたのは、空腹でも、不調でもなく、たぶん「どうでもよくなりかける感じ」だった。あれは静かだけど、思っているより手ごわい。





