おやすみ前の夜茶習慣で、ちゃんと休めない夜をやさしく整える一杯

雨ではないのに空気が湿っていて、駅からアパートまでの道が少しだけ重たく感じた夜だった。
昼間はあんなに暖かかったのに、日が落ちるとまだ春の終わりみたいにはならなくて、薄いコートを脱ぐタイミングを毎年少し間違える。
改札を出たところでスマホを見ると、通知はたいして増えていなかった。返さなきゃいけないLINEもないのに、なんとなく画面を見てしまう。そういう手持ちぶさたって、暇というより、気持ちの置き場所がない感じに近い。
部屋に帰ると、昼に干した洗濯物は半分だけ乾いていて、窓際のカーテンが外気で少し揺れていた。電気をつけた瞬間の、あの白すぎる明るさが今日は少しきつくて、私はリビングの照明をひとつだけにした。
ちゃんとしている人は、帰宅してすぐメイクを落として、部屋着に着替えて、白湯でも飲んで、そのまま穏やかな夜に入っていくんだろうなと思う。
私はその手前で、だいたい一度つまずく。バッグを床に置いて、上着も脱ぎきらないままソファに座って、スマホだけはしっかり握っている。
たぶん疲れているのに、休み方が下手なんだと思う。
最近、私は「休む」ことに少し理由がほしいと感じるようになった。
ただぼんやりするだけだと、怠けている気がする。何もしない夜に限って、「このままでいいのかな」が顔を出す。
かといって勉強を始めるほど元気もなくて、転職サイトを開いて閉じて、恋愛コラムを数本読んで、自分と関係のない誰かの人生に勝手に揺れる。そういう夜の、自分でも扱いづらい時間がある。
陽和香房の「ひより夜茶」は、そんな“夜の切り替え”に寄り添うために作られたナイトハーブティーで、公式サイトでは夜の30分を自分へのギフトにするお茶として紹介されていた
。厳選した8種の有機ハーブを使い、ノンカフェインで、香料などの添加物は不使用だという。お湯を注ぐ時間や立ち上る香りごと、休息への合図にしていく考え方も、少し今の自分に近い気がした。
私が惹かれたのは、ものすごく前向きになれそうだったからじゃない。
むしろ逆で、何かを頑張るためではなく、頑張り終わった自分をいったん静かに回収するためのものに見えたからだった。そういうものって、意外と少ない。世の中はだいたい「変わろう」と言ってくるけれど、夜の私は、変わる前にまず散らばった気持ちを集めたいだけの日もある。
ソファから立ち上がるまでに、思ったより時間がかかった
その夜、私は帰宅してからしばらく、何もできなかった。
冷蔵庫のモーター音と、外を通る車のタイヤの音だけがして、部屋の中は静かなのに、頭の中だけうるさい。職場でお客様に言われた何気ない一言とか、帰り際に鏡に映った自分の顔色とか、どうでもいいようなことばかりが変に残っていた。
しかも、そういう日に限ってSNSを開いてしまう。
休日を上手に過ごしている人のリール動画や、丁寧な夜のルーティンや、もう結婚しましたみたいな柔らかい報告まで流れてきて、見たいわけじゃないのに目に入る。見たあとに少し落ち込むのも、もうわかっているのにやめられない。
「なんかずっと疲れてる」
ほんとうにそれだけだった。特別つらいことがあったわけじゃない。でも、ずっと小さく消耗している感じがある。
ようやくソファから立ち上がって、キッチンでお湯を沸かした。
それだけのことなのに、少し面倒だった。面倒なのに、沸騰するまでの音を聞いていたら、さっきまでスマホの中にいた気持ちが、少しだけ部屋に戻ってくる感じがした。
ひより夜茶は、香りを含めて“儀式”として夜のスイッチを切り替えることを提案していて、お湯を注ぐ数分も含めて自分のための時間にする発想があるらしい。香りとリラックス体験を結びつけるような考え方は、たしかに忙しい日の夜ほど救いになるのかもしれない。
ちゃんとした休み方じゃなくてもいい。
でも、ただスマホを見続けて夜を終わらせるより、お湯を沸かしている数分のほうが、自分を雑に扱っていない感じがした。
それだけで、少し救われる夜がある。
休みたいのに、休む資格がない気がしていた

誰にも言っていないけれど、私はたまに、休むことに資格がいるような気分になる。
もっと大変な人はいるし、子育てしているわけでもないし、夜に一人でお茶を飲む時間くらいあるでしょう、と自分で自分に言ってしまう。
そのくせ、時間があるなら有効活用しなきゃ、とも思う。勉強とか、副業とか、読書とか、せめて美容とか。何も生まない時間を持つことに、少しだけ罪悪感がある。
たぶん私は、「ちゃんとしてる」が好きなんじゃなくて、「ちゃんとしてない」と思われるのが怖いんだと思う。
誰に、というより、自分に。
部屋が少し散らかっているだけで生活が崩れている気がするし、寝る前に動画をだらだら見てしまうと、明日の私はもっとだめになる気がする。そうやって一日の最後にまで自分を監視しているから、疲れるのかもしれない。
温かいカップを持ちながら、そのことを考えていた。
ひより夜茶は、夜の30分を「自分だけをいたわる時間」にするという考え方を打ち出していて、カフェインレスの温かい一杯が張り詰めた緊張をゆるやかにほどいていく、と書かれていた。読んだとき、すごくきれいな言葉だと思った。でも同時に、そんなふうに自分を扱える人って、ちゃんとしている人だけなんじゃないかとも思った。
だけど、実際に夜の台所でひとり立っていると、そんなに立派な話でもない。
シンクにはマグカップがひとつ残っているし、コンビニの袋もまだたたんでいない。髪も中途半端にほどけていて、部屋着はくたびれている。
それでも、お茶の湯気が上がっているだけで、今この部屋の中には「誰かの評価じゃない時間」がある気がした。
わかる、って思う人がいるかもしれない。
本当は休みたいだけなのに、休む前にまず「今日も頑張ったから」と自分に言い訳してしまう感じ。
あれはたぶん、真面目というより、ずっと自分に許可を出せていないだけなんだと思う。
自分をいたわるって、やさしい気持ちじゃなくてもいいのかもしれない

お茶をひと口飲んだとき、最初に思ったのは「落ち着く」より先に、「ちゃんと温かい」という、ごく普通のことだった。
でも、そういう普通のことが夜には案外足りていない。昼の私は、だいたい情報ばかり摂っている。接客中の会話、スマホの通知、電車のアナウンス、店内の音楽、誰かの機嫌。頭は一日じゅう使っているのに、身体の感覚は置いてけぼりになっている。
ひより夜茶は、8種の有機ハーブの香りや味わいが重なって、最後にほんのり酸味と余韻が残ると紹介されていた。香料不使用で、無漂白のティーバッグを使っているところにも、あえて過剰に飾らない静かなこだわりがある。
こういうのを見ると、ていねいな暮らしの人の道具みたいに感じて、少し身構える。私の部屋にはまだ洗っていない食器があるし、ベッドの上には脱いだカーディガンが置きっぱなしだし、完璧な夜のルーティンなんて似合わない気がするから。
でも、その夜ふと思った。
自分をいたわるって、別に“自分が好き”じゃなくてもできるのかもしれない。
ものすごく自分を大切に思えている日じゃなくても、とりあえず冷えた指先を温めたり、明日の自分が少しだけましになるように早めにスマホを伏せたり、そういう不器用な動きも、たぶん十分いたわりなんだと思う。
好きだから大事にする、じゃなくて、
しんどそうだから雑に扱わない。
そのくらいの距離感のほうが、今の私にはしっくりきた。
人生を変える習慣、みたいな大きな言葉は、夜には少し強すぎる。
それより、「今日はこれ以上、自分を削らないで終わる」くらいの小さな着地のほうが現実的だ。
そう考えたら、夜にお茶を淹れることは、意識高いことではなくて、単に“これ以上こじらせないための手前の動作”なのかもしれない。
その地味さが、少しよかった。
まとめ
夜って、前向きになる場所じゃないのかもしれない。
昼に置いてきた気持ちが遅れて戻ってきて、言い訳みたいな疲れと、本音みたいな寂しさが同じテーブルに座る時間なんだと思う。
だからこそ、そこで何をするかより、何を増やさないかのほうが大事なのかもしれない。
不安を増やさない。比較を増やさない。自己嫌悪を増やさない。
そのかわりに、お湯の音とか、湯気とか、少し暗い照明の下で持つ温かいカップみたいな、言葉にしなくてもいいものを置いておく。
自分をいたわる、なんて言うと少し照れるけれど、
本当はみんな、やさしくなりたいというより、これ以上しんどくなりたくないだけの夜がある。
私にはある。たぶん、何度もある。
そんな夜に、ひより夜茶みたいな“休むための形”があるのは、少し助かる。厳選した8種の有機ハーブやノンカフェインという機能ももちろんあるけれど、それ以上に、夜をただ消費しないためのきっかけとして、私はこのお茶に惹かれたのだと思う。
今日の私は、劇的には変わっていない。
部屋もきれいじゃないし、将来の不安も消えていないし、たぶん明日も仕事で気を遣う。
それでも、夜の終わりに自分を追い詰める代わりに、少し温かいものを飲んで終われたことは、思っていたより悪くなかった。
休むことに、理由なんていらない。
……と言い切れるほど、私はまだうまくない。
でもせめて、理由が必要な夜には、湯気の立つ一杯くらいあってもいいのかもしれない。
そう思えたら、その日はもう、それで十分な気もする。





