一人暮らしの部屋に置きたい、洗練された家具ブランドtovoで叶えるやさしい空間づくり

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    帰るたび少し気分が整う、tovoのダイニングチェアとソファが似合う暮らしのつくり方

    くつろぐ女性

    夜の22時すぎ、メイクだけ落として、服は部屋着に着替えたのに、なんだか気持ちだけ帰宅できていない日ってありませんか。

    玄関の横に置いた荷物の紙袋がまだそのままで、コンビニで買ったほうじ茶ラテは少しぬるくなっていて、洗面所からはさっき使ったクレンジングの匂いがふわっと残っていて、ああもう今日は何も考えたくない、って思っているのに、そういう日に限って部屋の中の小さい違和感だけはやけに目につくんですよね。

    ソファの上に脱ぎっぱなしのカーディガン、妙に生活感のあるコード、テーブルの端に寄せたはずの郵便物。

    別に誰に見せる部屋でもないのに、いや、誰にも見せないからこそなのか、自分の機嫌まで部屋の輪郭に引っぱられていく感じがして、ちょっと笑えて、でも笑いきれない夜がある。

    この前もそんな日で、婚活アプリのメッセージを返す気力もないままベッドに転がって、なのにスマホだけは手放せなくて、指だけでだらだら画面を流していたら、インテリアの投稿が何個も出てきて、部屋って、ちゃんとしてる人のものみたいだなって、ひとりで勝手にすねていました。

    たぶん疲れていたんだと思います。
    でも、そういうちょっと拗ねた目で見たときほど、家具って妙に本音に近いところを刺してくるんですよね。

    最近気になっていたのが、洗練されたデザイン家具ブランドのtovo(トヴォ)。

    2026年2月13日にローンチされたオンライン専業の家具ブランドで、ダイニングテーブル、チェア、ソファを中心に展開していて、木製家具にはオーク材を中心に使い、ソファは全商品カバーリング仕様で自宅で洗える設計、しかも日本国内は離島を除いて送料無料という設計らしくて、見た目だけじゃなく、暮らしに戻ってこられる感じが少しあるなと思ってしまいました。

    Threadsを見ていても、部屋が狭くても質のいい家具は諦めたくないとか、置くだけで部屋が整って見える椅子ってあるよね、みたいな空気の投稿が意外と多くて、ああみんな、家具を買いたいというより、自分の生活の散らかり方にちょっとだけ希望を持ちたいのかもしれないな、なんて思ったりしました。

    私もそのタイプです。

    家具を買ったら人生変わる、なんて全然思っていないし、そんなふうに書くと少し通販番組っぽいのでやめておきたいんですけど、でも実際、帰ってきて最初に目に入るものが好きな形をしているだけで、その日の自分への当たりがほんの少しやわらぐことはあるんですよね。

    仕事で、ものすごく大きな失敗をしたわけじゃないのに、細かいことでじわじわ削られる日があって。

    お客様の前ではちゃんと笑えていたし、受け答えもたぶん普通だったし、むしろ周りから見たら何も起きていない日だったと思うんですけど、こういう日の私はだいたい、レジの前で一回噛んだとか、鏡越しに前髪の決まりが微妙だったとか、休憩中に送ったLINEのテンションが変じゃなかったかとか、そのくらいのことで勝手にひとり反省会を始めます。

    あるあるすぎて、書いていてちょっと恥ずかしいんですが。

    で、そういう日に部屋へ戻ると、部屋まで雑だとしんどい。
    でも、モデルルームみたいに整いすぎた部屋も、今の自分にはちょっとまぶしい。

    その中間がほしいんですよね。
    ちゃんとして見えるのに、ちゃんとしすぎてない感じ。
    深呼吸したくなるのに、背筋を伸ばしすぎなくていい感じ。

    tovoの家具を見ていて、最初に目が止まったのも、そういう空気感でした。

    Suuチェアは、背板がコンパクトで後ろ姿まで軽やかで、座面には浅めのくぼみがあって、食事や会話の中で無理のない動きができるようにつくられているそうです。長時間だらんと寄りかかるための椅子というより、日常の動作に自然に付き合ってくれる椅子、という言い方が近いのかもしれません。

    この説明を読んだとき、なんか少しわかる、と思ってしまって。

    私、休みの日の昼すぎに、ちゃんとしたカフェに行くほど元気はないけど、家で適当に食べるのも味気ない、みたいな時間が結構あるんです。
    トースト一枚とカフェオレだけでも、座る場所がいい感じだと、その時間がやけに丁寧に見える、あの不思議。

    逆に、椅子が合わないと、食べながらずっと落ち着かなくて、スマホを見て、肘をついて、姿勢が悪くなって、なんか自分まで雑に見えてきたりする。

    そんなことで?って思うんですけど、そんなことなんですよね。
    生活って、だいたいそんなことの積み重ねだから。

    ソファもそうで、tovoは「空間の雰囲気を底上げする美しさ」と、カバーを外して自宅で洗える実用性の両方を大事にしているみたいで、そこがちょっと現実的で好きでした。きれいなものって、触っちゃいけない感じが出ると急に遠くなるけど、洗えるって聞いた瞬間、生活に入ってきてくれる気がするんですよね。

    私みたいな一人暮らしって、部屋づくりも結局ひとり会議なんです。

    このソファ、可愛いけど搬入どうなんだろう、とか。
    色、アイボリーにしたら絶対可愛いけど、コーヒーこぼしたら泣くかな、とか。
    そもそも今の部屋にこんな素敵な家具が来たら、床に置きっぱなしのバッグのほうが目立つんじゃないか、とか。

    最後のやつ、かなり本音です。

    たぶん家具を買うときって、サイズや値段だけじゃなくて、自分がその家具のある生活に似合うかまで、こっそり査定してしまうんですよね。
    あれ、しませんか。
    私はかなりします。
    そしてだいたい、勝手にビビります。

    でもThreadsでインテリアまわりの投稿をぼんやり見ていると、完璧な部屋より、どこか生活が見える部屋のほうが妙に惹かれることが多くて。
    少し読みかけの本があったり、ラグに座ったままマグカップを置いていたり、整っているのに“がんばりすぎてない”空気が残っている部屋。

    あれを見るたび、部屋って、見せるための完成形というより、自分の機嫌が戻ってくる途中経過なのかもしれない、と思うことがあります。

    たぶん私はずっと、部屋を整えたいんじゃなくて、自分の散らかった気持ちに嫌われたくなかったんだと思います。

    婚活をしていると、たまに不意打ちみたいに思うんですよね。
    このまま誰かが私の部屋に来る日って、本当にあるのかな、とか。
    来たとして、そのとき私はこの部屋を“私の暮らしです”って顔で見せられるのかな、とか。

    そこで急に、クッションカバーの毛玉とか、棚の上のほこりとか、妙に現実味を帯びてくる。

    しかもそういうことを気にしている自分が、少し小さくて、少し面倒で、でもかなりリアルで。
    部屋が整ってないことより、そんなところで不安になる自分のほうが、たぶん本当は気になっているんですけど。

    だから家具を見る時間って、私にとっては買い物というより、今の自分の気持ちの照明を少し明るくする時間に近いのかもしれません。

    tovoのストーリーに「誰かの基準に合わせるのではなく、自分の“好き”で選んだものに囲まれて暮らす」という言葉があって、その感じはちょっとよかったです。強すぎないのに、静かに背中を押してくる感じ。自社でデザイン・企画し、長年の家具製作経験を持つパートナー工場と協力して、オンライン販売に特化することで適正価格を目指している、というところも、妙に派手じゃなくて好きでした。

    派手じゃない、って、私の中ではかなり大事で。

    若い頃は、わかりやすく褒められるものが好きでした。
    流行っているとか、高そうに見えるとか、写真に撮ったときに映えるとか。
    もちろん今も可愛いものは好きなんですけど、最近は、毎日見ても嫌にならないことのほうがずっと気になります。

    服もコスメもそうだけど、家具ってさらにごまかせないですね。
    好きかどうか、暮らしに合うかどうか、疲れて帰った夜にも目をそらしたくならないかどうか。
    たぶんそういう問いが、静かに置かれている。

    この前、夜中に家具を見ながら、こんな部屋に住めたら私ももっと落ち着いた人に見えるかな、なんて考えて、いやいや家具に人格まで背負わせるなって、自分で自分にツッコミました。
    でも、そのくらい、部屋って内面の代理みたいに扱ってしまう瞬間があるんですよね。

    誰にも言ってないけど、私は疲れているときほど、生活感のあるものにイライラするくせに、自分でその生活感を毎日増やしています。
    通販の箱をすぐ畳まないとか、着た服を椅子に一回置くとか、読み終わってない雑誌を積むとか。
    犯人、ほぼ私です。

    なのに、きれいな部屋の画像を見てうっとりしている。
    都合がいいにもほどがある。

    それでもたぶん、だからこそ家具に惹かれるのかもしれません。
    全部は整えられないし、整え続ける自信もないけど、部屋の中心にひとつ、自分が好きだと思えるものがあるだけで、散らかった日の言い訳が少し減る気がするから。

    tovoのソファには、直線的で落ち着いた存在感のKORTや、レイアウト自在のBOCCAみたいなシリーズがあって、価格帯も10万円台から見えてくるので、いかにも“手が届かない憧れ”だけで終わらない感じがありました。 (tovo)

    もちろん、すぐ買うかと言われたら、私はたぶん一回お茶を飲みます。
    二回くらい測ります、部屋を。
    搬入経路も調べます。
    そのあと、なぜかラグまで見始めます。
    そうやって話が大きくなるの、インテリアあるあるですよね。

    でも、その迷ってる時間も嫌いじゃないんです。
    自分はどんな部屋で息をつきたいんだろう、とか。
    朝の光が入ったとき、どんな椅子に座っていたいんだろう、とか。
    休みの日の昼に、何も予定がないままコンビニスイーツを皿に出すとき、どんなテーブルなら少し機嫌がよくなるんだろう、とか。

    たぶん家具って、暮らしを完成させるものじゃなくて、まだ整いきっていない自分に、こういう感じもあるよって見せてくれるものなのかもしれません。

    最近ちょっと思うんです。
    部屋を整えたい、という気持ちの奥には、ちゃんとした人になりたい、ではなくて、ぐちゃぐちゃな日にも自分を雑に扱いすぎたくない、みたいな願いがあるんじゃないかって。

    そう考えると、家具選びって見栄とも理想とも少し違っていて、もっと生活に近い、小さい救済みたいなものなのかもしれません。

    帰宅して、照明をつけて、バッグを置いて、深く息を吐く。
    そのとき視界に入る椅子やソファやテーブルが、自分を急かさない形をしていたら、それだけで救われる夜ってあるんじゃないでしょうか。

    もちろん、家具ひとつで人は変わらないし、部屋が整っても婚活が急によくなるわけでもないし、自己肯定感が翌日から上がる、みたいな話でもない。
    そこはかなり冷静にわかっています。

    でも、何も変わらないわけでもなさそうで。

    明日の朝、散らかったキッチンの向こうに、自分で選んだ好きなチェアがあるだけで、昨日より少しだけ雑じゃない気持ちでトーストをかじれるとか。
    そういう、劇的じゃない変化のほうが、案外あとから効いてくるのかもしれません。

    部屋を整えたいのか、
    自分の気持ちを整えたいのか、
    誰かを迎えられる暮らしにしたいのか、
    ひとりの時間をもう少し好きになりたいのか。

    そのへん、きれいに分けられないまま家具を見ている夜が、私はけっこうあります。

    たぶん買い物って、物を選んでいるようで、そのときの自分の願い方を選んでいる時間でもあるんですよね。
    大げさに言いたいわけじゃないんですけど、家具を見ているときだけは、まだ言葉になっていない本音が少し部屋の輪郭を借りて出てくる感じがある。

    tovoみたいに、主張しすぎないのに空気が整う家具に惹かれるのは、
    私がまだ、強くなりたいというより、静かに落ち着きたいだけだからかもしれません。

    今の部屋に何を迎えたら、私はもう少し、自分の暮らしに照れなくて済むんでしょうね。

    たぶんその答えは、サイズ表の下にも、レビューの星の数にも、まだ出ていない気がしています。


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