最近なんとなく不調が気になる人へ|更年期前から始める体リズム準備メモ

夜のスーパーで、ポイントカードを出す手がちょっとだけ震えた。原因は寒さ…ってことにしたけど、実は違う。レジ横の棚に「更年期」という文字が並んでいて、私の目がそこに吸い寄せられたから。30歳、一人暮らし。冷凍うどんと豆腐と、なぜか“未来の不調”を一緒にカゴへ入れたみたいな気分になった。
最近うまくいかなかったことは、小さい。朝起きて顔がむくんで、鏡の前で「昨日そんなに塩分とった?」って自分に聞いたのに、答えが出ないまま会社に行った。帰ってきてからも、やたらと眠い。たぶん寝不足。たぶんストレス。たぶん寒さ。たぶん…って並べれば並べるほど、「本当は何?」のところが空洞になる。その空洞に、さっきの“更年期”が入ってきてしまった。
更年期って、もっと先の話だと思ってた。40代後半とか、50歳とか。そもそも更年期は閉経をはさんだ前後約10年の時期、と言われるらしい。日本人女性の平均閉経年齢は50〜51歳くらい、という情報も見かけた。 じゃあ私にはまだ時間がある。…はずなのに、なぜか今夜の私は、その「時間がある」に安心できなかった。
「更年期準備って何から始める?」なんて、検索するにはまだ早い気がして、でも早すぎるほどでもない気もして。こういうとき、私は“ちゃんとした人”のふりをして、いきなり完璧な正解を探そうとする。運動?サプリ?病院?…それで結局、情報の洪水に溺れて、何も始めない。今日はそれを繰り返したくなくて、スマホを置いたまま、湯気の立つインスタント味噌汁をすすった。薄い味なのに、胸の奥だけが濃い。
更年期のストレス・疲労・睡眠に!GABA機能性サプリ【ベルタエクリズム】「準備」って、何かを始める前に傷つくこと
更年期の準備、と聞くと、私は「いつか来る不調を回避するためのチェックリスト」みたいなものを想像してしまう。やることが並んでいて、達成すると“安心”がもらえるやつ。でも実際は、たぶんそんなにきれいじゃない。
まず、更年期って「ある日突然」じゃなくて、月経の変化や体の揺れとして、じわじわ近づいてくることが多い、と書かれていた。 そして更年期の症状は人によって違う。ここがいちばん厄介で、いちばん救いでもある。誰かの体験談を読んで「私もこうなる」と決めつけなくていいし、逆に「私は大丈夫」と言い切れるほど単純でもない。
だから準備って、体の未来より先に、「自分の不確かさ」と仲良くする練習なのかもしれない。今の私は、具合が悪いわけじゃない。だけど、体に自信があるわけでもない。むしろ、ちょっとした違和感に心が引っ張られる。誰にも言わないまま、メモ帳に“更年期”って打って、すぐ消す。そんなことをしている自分が恥ずかしい。
でも恥ずかしさって、たぶん「知っておきたい」の裏返しだ。知ることは、強くなることじゃなくて、怖がり方が上手くなること。怖がり方が上手くなると、必要以上に怯えずに済む。そう思いたい。
女を上げる【LUNA-ルーナ-ハーバルサプリメントプレミアム】私が今夜からできそうな「更年期準備」は、たぶん地味
いきなり骨密度検査の予約を取るとか、毎日ジムに行くとか、そういう“派手な決意”は長続きしない。私は知ってる。三日坊主の顔をしているから。だから、私の準備はもう少し小さくて、生活の隙間に入り込めるものがいい。
たとえば「骨のこと」を少しだけ意識する。骨の健康には、負荷のかかる運動(体重を支える運動)や筋力トレーニングが役立つ、という説明がいくつかあった。 ここでポイントなのは、私が“運動が得意な人”になる必要はないってこと。エレベーターをやめて階段にする、とか、遠回りして一駅歩く、とか。そういう地味な選択を、週に数回できたらそれで十分かもしれない。今日の私は、コンビニに行くのに近道を選んだ。明日は遠回りしてみよう、くらいの決意で。
食事も、完璧に栄養計算する気はないけど、「不足しやすいものを思い出す」くらいはできる。周閉経期(更年期に入る前後の時期)に向けては、エネルギーバランスやカルシウム、ビタミンD、食物繊維などを意識することが言及されていた。 じゃあ私は、牛乳が苦手ならヨーグルトでもいいし、納豆でもいいし、日光に当たる時間を少し増やすのでもいい。要は“自分が続けられる形”に翻訳すること。
それから、睡眠。更年期の話を調べているのに、結局いちばん手強いのは睡眠だ。布団に入っても、頭の中だけがスクロールし続ける夜がある。スマホの光がまぶしいのに、やめられない。明日の自分に“ツケ”を回している感覚がある。更年期準備って言いながら、実は今の私の体を守る準備でもあるのかもしれない。
最後に、病院や相談先のこと。更年期の不調は我慢しない、無理をしない、というメッセージは日本の情報でも繰り返されていた。 ここは少しだけ、心が軽くなる。私は「病院に行くほどじゃない」を合言葉にしがちだけど、“行くほど”の基準が自分の根性になっているのは、ちょっと危険だ。つらいなら相談していい。相談していい、って言葉だけでも、準備になる。
…こうして書くと、準備は行動の集合に見えるけど、私にとってはたぶん「自分の体を話題にしてもいい」と許可することの方が大きい。家族にも友達にも、まだ言えない。でも、ここには書ける。書けるなら、もう半分始まっているのかもしれない。
後から気づいた違和感がひとつある。“更年期準備”って、実は更年期のためだけじゃなくて、「今から先の自分を、過剰に見捨てないため」の準備なんじゃないか、ということ。私はいつも、元気な自分を前提に予定を組む。体調が落ちる可能性を、どこかで軽視している。若いから。まだ大丈夫だから。そうやって、未来の不調を“他人事”にしてきた。でも他人事にし続けると、いざ揺れたときに、自分を責める材料が増える気がする。
だから私は、答えを出し切らないまま、少しだけ視点を変えてみたい。更年期に備える、というより、「揺れが来ても、私が私の味方でいられるようにする」。そのために、歩く。食べる。寝る。相談する。どれも派手じゃないけど、派手じゃないから、私の生活に置けそうだ。
明日になったら、またどうせ“たぶん”を並べる日が来る。それでも今日の私は、レジ横の棚を見たときの心のざわつきを、なかったことにしないでおく。
そのざわつきが、未来の私へ渡す、小さなメモみたいに思えるから。





